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評価と評判について考える [Essey]

 通常、何かを「評価する」には、いくつかの評価軸と、多数の評価項目によって詳細に分析し、その結果としてアプトプットすることで行われます。

 ところが、そのような発想や思考がなく、ただなんとなく、例えば「世間の評判」的な、根拠のない「噂話」程度で、評価してしまう人を多数見かけます。

 そのような、実際の価値の実体が伴わない「印象操作」のみで作られたブランドは、考えが浅い人が魅了される「幻覚」に過ぎないですね。

 それは「ブランド・ファンタジー」であって、真の、実体が伴ったブランドとは異なります。

 そのような偽ブランドは、「小手先のごまかし」に過ぎず、深い思考を持った人には、簡単に見破れます。

 とてもわかりやすい例を出すなら、インチキ通販にありがちな「タレントの△△さんも長年のご愛用者です」といったものですね(笑)

 その商品(その会社)と利害関係がないと思われそうな人が、その商品を評価していると聞かされると、思考の浅い人はその評価を信じてしまいたくなることを、行動心理学では「ウィンザー効果」と言います。

 購入しようと検討している商品に対して知識がない、調べている時間がないなどの理由で、本来の購入理由が決定打とならない場合、人は他の人に同調しようとします。

 自分自身の評価軸を放棄し、「あの人も、この人も使っているから大丈夫だろう」といった安心感を得たいわけです。

 特に日本人は横並びを好むため、「とにかく多くの人が使っているものを購入しておけばハズレを引くことはないだろう」と考える人が大多数です。

 これを行動心理学では、「同調現象」と言います。

 また、専門分野に話題が及ぶと、必ず現れるのが「その道の権威者」です。

 取り扱う商品がサプリメントであったり、化粧品であったりした場合、含有成分を解説する際に「△△大学の教授」の意見など、専門家のコメントを添えることで、「権威ある人が言っているのだから」という心理だけで、購入を促すことに成功します。

 通常は、価格帯が上昇するほど需要が減るものですが、それに逆らい、ステイタスを顕示したい心理で購入される商品(≒ブランド品)は、実際の価値を大きく上回る消費行動を起こします。

 これを、行動心理学では「ヴェブレン効果」と言います。

 世の中には、このような行動心理学を悪用した商品、偽ブランドが溢れている、ということを認識できている人は、意外と少ないのかもしれません。

 そのような姿勢は、「思考の浅さ」と「他人の評価に左右される率」との相関性が認められるように思われます。

 つまり、思考の浅い人ほど、他人の評価に左右されるということですね(笑)

 それは「自分の評価軸の放棄」であり、他人の(しかも、どこの誰ともわからない、なんとなくというレベルの)評価に左右されている状態に過ぎないわけです。

 真に、十分に思考が深ければ、一切の「世間的評判」を無視し、論理的な評価軸と評価項目によって、正しく判定、評価することができるようになります。

 その結果が、事前の自分の予想、期待と異なっていたとしても、自分自身の評価を直せばいいわけですから、簡単なことです(笑)

 人としての成長が不十分で、思考が未発達な人、思考が浅くて、他人の評価に左右される率が高い人は、そこでなぜか、感情的なものを持ち出し、正しい評価をひっくり返そうと試みる傾向が見て取れます。

 ロジックでは、ひっくり返らないので、感情的なものを持ち込もうとするのでしょう。

 十分に思考が深い人は、評価・分析を行うにあたって、可能な限りの偏見や個人の主観的な判断を回避し、ロジカルに、客観的な評価軸と多数の評価項目によって、評価を実施することに努めます。

 どれだけ、「世間的評判」が高かろうと、イメージだけは良かろうと、そんなものはまったく関係ありません。

 正しい評価は、ロジックに基づいた評価手法による「評価法」でのみ実施できることを理解できています。

 例えば、映画にもなった「マネー・ボール」という、大リーグのアスレチックスにおける画期的な野球選手採用手法がわかりやすいですね。

 メジャーリーグの貧乏球団・オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(ゼネラルマネージャ)が、セイバーメトリクスと呼ばれる独自の手法を用いて、プレーオフ常連の強豪チームを作り上げていく実話ですね。

 それまでは、「経験と直感」を頼りにスカウトをしてきた、ベテラン現場スタッフは「野球は数字じゃない」と猛反発しました。
(しかし結局、自分たちの「誤り」を思い知らされます。)

 それまで慣習的に行われてきた「選手の過去の実績やネームバリューなど」をすべて無視し、野球の勝率を上げるために必要な「要素」を列挙してデータベース化し、統計的な回帰分析から「得点期待値」というものを新たに設定し、評価・判定するという手法です。

 すると、年棒の低い、無名の選手ばかりのチームになったにも関わらず、大リーグ全球団で「最高の勝率」を記録することに成功します。

 その後も、アスレチックスの快進撃で実績を作り、すっかり有名になった選手を、他球団の有望な若手プレイヤと次々にトレードし、無名ながら活躍する選手を育て上げ続けるという手法で、常勝軍団を築き上げていきます。

 アスレチックスでの大活躍で、オールスターにも出場したトレバー・ケーヒル投手を放出し、代わりにダイヤモンドバックスの若手有望株ジャロッド・パーカーという右投手を獲得するといった手法です。

 ダイヤモンドバックス時代のパーカーは、まだ1試合しか先発していないルーキーであったのに、アスレチックスに移籍した年に13勝8敗、翌年も12勝8敗と、いきなりエースへと成長しました。

 もっと身近な、身の回りにある商品で言えば、例えば「品質に違いはない(同等な)のに、△△△というロゴが付いているだけで、割高な商品を購入する」といったことですね。

 実質的な価値に対する正しい評価軸を持たずに、ただなんとなく「高級」といったイメージ、漠然としたステータス感、世間の評判が良いから、といった程度の理由で評価してしまうということですね。

 それでは単なる「ロゴ」に、何万円も払っているだけ、だというのに(笑)

 実は世の中に溢れている、「印象操作」のみで作られた、実際の価値の実体が伴わない「ファンタジー・ブランド」に大金を貢ぐのは馬鹿馬鹿しいので、評判などに惑わされない、自分の評価軸を持つことが大切ですね。

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思考の深さを考えてみる [Essey]

 最近、多くの人が「外界からの情報刺激に対して、ただ単に感情的に反応するだけ」という状況をよく見かけます。

 ただ単に、ニュースを読むだけ、知るだけ、「腹立たしい」と反発するだけ、「へー、なるほど」と納得するだけ、の方がラクだからなのでしょう。

 本来「自分の頭で考える」ということは、なんでも鵜呑みにせず、すべてに対して疑ってかかり、必ず自ら検証し、他人とは違う「自分なりの見解」を導き出すことを言います。

 そこまでの「思考の深さ」がない場合、「浅はか」どころか、「何も考えていない」のと大差ないですね。

 哲学者ソクラテスは、真に「考える」のに必要な、すべての原点となる「無知の知」を根本的な考えとしました。

「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
 真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。」というやつですね。

 また、数学という「考える」ための2大学問において大きな業績を挙げ、それらの基礎を築いたのが、フランスの哲学者・数学者であるルネ・デカルトです。

 幾何学の基礎を築き、哲学上の業績して有名なのが「方法的懐疑」ですね。

 デカルトは、ありとあらゆるものを疑ってかかり、最後に残った「疑いようのない」ものが、疑っている「自分自身の存在」でした。

 それを表現した有名な言葉が「我思う、故に我あり」ですね。

 真に「考える」ことの基礎には、必ず「疑うことを必要とする」を代表する表現と言えます。

 すべてを疑ってかかることが、なぜ重要なのかと言えば、「自分の頭で考える」ことの対極にあるのが「他人の意見にむやみに従う」ことだからです。

 「自分の頭で考える」とは、自分なりに他人と違う見解を見出すことです。

 さも当たり前と思っていた「周りの事象」に対して疑問を提示し、本当は「どうなのか?」と、自分自身の見解として導き出すには、すべてを疑うことからしか始めようがないからです。

 今そこにある情報は、どこの誰がなんの根拠を持って発信しているのか、その情報は本当なのか。

 「正しい」「間違い」といった意見は、ほとんどの場合、絶対的なものではなく「状況による」ものがほとんどです。

 ところが、多くの人は、自分が置かれている状況が、すべての人と同じであるという錯覚をもとに、反応しがちです。

 それでは、その当人や関係者にとっては「正しいこと」でも、状況が変われば「間違い」にも十分なりうるということになります。

 ある主張をしている人が「部分しか見ていないことに気づいていない」という「自分が無知であることを自覚していない状態」に陥っている状態です。

 このようなことが多く発生する原因は、世の中の大多数の人が信じている「常識やルール」は、環境の変化によって「間違いに変化する」ことが挙げられます。

 にもかかわらず、一度、大多数に正しいと思われた常識、子どもの頃から身につけた価値観などに、固執するわけです。

 自分の「無知」を認められず、過去の古い(今では、すでに間違っている)常識やルール、価値観を、いつまでも変えられないわけです。

 いわゆる「頭の固い」(あまり物事を考えずに、1つの考えに固執する)人たちの特徴として、自分の信じている価値観を、まったく疑わないことが挙げられます。

 これでは、柔軟な発想を阻害する諸悪の根源にしかなりません。

 このような状態から抜け出すにはまず、「そうか、自分が間違っていたのか」「自分は知らなかっただけなのか」「自分が理解できていなかったのか」と、自分自身の状態を疑ってかかることから始まります。

 クリエイティブな人やイノベーションを起こせる人材は、日頃から、接する情報に対して、自分なりに加工・応用し、発想や自分の行動を錬磨するべく、内的作業をする思考のクセを身につけています。

 それは「こうかもしれない」「こういうこともありうる」と、外側の世界を自分内部の思考の枠組みに引き寄せ、その中で理解し、新たに自分で創造しようという試みでもあります。

 ブレインストーミングやディベートなども、誰か他人がいなければできないわけではなく、自分ひとりでこの作業を繰り返せるのが、優秀なクリエイターやイノベーターです。

 自分の中に独力で場をつくり、その思考の場の中で、複数の違う自分を立ち上がらせながら、相互にディスカッションできる人材こそ、次々と問題解決策を思いつき、独創的なアイデアを紡いでいける思考法を身につけた人です。

「凡人が敷いたレールに、自分の思考を乗せないのが、優秀さの特徴である」
by スタンダール(フランスの小説家。本名:マリ=アンリ・ベール)

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