差別意識について考えてみる [Essey]
このところ、ミャンマーのロヒンギャに対する差別、迫害によって、何十万という難民が行く場所を失う大問題となっています。
それらのニュースを見ながら、差別意識について考えてみた、です。
差別する人間の心理状態は、日常の競争原理の世の中で常に順位を意識し、学歴、容姿、年齢、資産、性格、恋愛、生活環境等すべてにおいて、すぐに比べたくなるというものであり、上下関係をつけたくなる情動から生まれます。
人と会った時、初対面ですぐに、年齢、学歴、生活環境などを聞き出そうとする人たちです。(そんなことはどうでもいいのに。)
そうして自分で勝手に順位付けするくせに、自分の方が下だと劣等感を感じ、悔しくなり、自分より上位と感じる人に対しては、何かしらにつけて攻撃しようとします。
また、自分よりも劣ってると思われる人に対しては、優越感を感じ、見下した態度、言動をし、差別的行動を取ろうとします。
悪口・悪態は、自分の攻撃性を見せるための自己顕示であり、動物的な示威行動であり、下等動物的な情動行動です。
それは、弱い自分に対する「自己防衛」反応でもあります。
弱い自分を隠し、強く見せようとすることで、防衛しようとする虚勢です。
真に精神的に強い人は、そのような「自己防衛」に奔走する必要がないので、他人のことなど、最初から気にしていません。
そんなことに囚われずに生きられる人、まったく何も気にしない人には、虚しい差別意識が生じません。
あるいは、誰かと意見が対立しても、それが当たり前と捉え、相手を無理矢理、自分の意見に従わせようとしたり、ムキになったり、感情的になったりすることがありません。
意見とは対立する性格のものであると認識し、そのために「多数決という制度がある」と理解し、自分の意見・主張を強制しようとはしません。
意見・考え・主張を強制されないのが、民主主義であると認識できています。
そのように、自己理解を深めることが、人間的成長に繋がることを知っているからです。
そして「論理的な説得」「説明による共通理解」「人に影響を与える」ことは別であることを体得できています。
そのように自分を客観的に捉えられない人は、「自己正当化」という過剰な自己防衛反応を発動し、「怒りの情動=攻撃性」によって、自分と異なる考え・意見を攻撃しようとします。
攻撃したところで、何も解決するわけがないのに。
「人としての精神性」が未発達で、レベルが低過ぎます。
白人至上主義者、人種差別主義者、宗教の狂信者、トランプ大統領、全部同じですね。
「自分で怒りを抑えるには、他人の怒る姿を静かに観察することだ。」
by ルキウス・アンナエウス・セネカ(古代ローマ哲学者)
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