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学校教育を考える<5> [Essey]

 日本では戦後復興していく中、教育基本法で「教育の中立性」を謳いつつ、教育委員会と日教組という対立構造が組み込まれていきます。

 このような手法は、各国への内政干渉と同様、まとまりのない社会を作り上げるための、典型的なやり方となっています。

 中教審や臨教審といった組織を立上げ、支配者側が進めたい方向へ、自分たちの意向を反映させるためのシステム作りと言えます。

 軍人を育てるための兵学校と同様、すべての学校は、チャイムが鳴るとともに始まり、チャイムが鳴るとともに終わる、厳格なタイムスケジュールで運用されます。

 授業開始のチャイムさえ鳴れば、嫌でも席につき、どんなにつまらない授業でも、次のチャイムが鳴るまで、じっと我慢して座っていることを強制されます。

 食事の時間も、みんなと一緒に、同じ物を、決められた時間内に、食べ終わなければなりません。

 時間通りに、集団行動することが、学校という空間を支配する基本的なルールであり、「義務」教育として、国民全員を放り込み、その習性を叩き込むわけです。

 それこそが最大の目的である以上、学校で「勉強を教える」のは2の次であり、学校以外に「塾に通う」などという、バカげたことが成り立つ社会状況となっているわけです。

 さらに言えば、今だに、あちこちで問題視される「社会の実情とは大きく乖離した、学校独自のおかしな校則」についても、そもそもの目的が(兵士として)「集団のルールに従うことを仕込むための学校」という視点から見れば、その奇妙さが「なぜなのか」という意味がわかります。

 異常さを表す校則の例では「天然パーマは、それを証明できる幼児期の写真を提出すること」「通学時は2列以下の横隊歩行し、道の右側を歩くこと」「目的もなく廊下を歩いてはいけない」「チャイムが鳴っている間は動いてはいけない」「スカートは膝上5センチまで」「ポニーテールは禁止」「父親以外の異性とは一緒に歩いてはいけない」「マフラー、手袋禁止」などですね。

 これらはすべて、異常な「理不尽」な校則ですが、軍隊、兵学校と思えば、あり得る規則なのでしょう。

 登校時の服装チェック、教室での頭髪検査、持ち物検査など、まさしく「兵士育成学校」そのものであって、勉強とはまったく関係ないですね。

 ということで、日本の学校教育の奇妙さは、もともとが「国民国家と工業化社会の実現」という装置のために生まれた歴史的産物である、ということです。

 現在の学校教育を巡る議論に欠けているのは、こういった歴史的視点であり、これを改めるという発想がない限り、根本的な解決は望むべくもありませんね。

 以上、「なぜ、日本の学校教育はこんななのか、こういう状況になっているのはなぜなのか」を「考えてみる」でした。
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