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映像の世紀バタフライエフェクト「2つの超大国 米中の百年」 [Essey]

■ NHK 映像の世紀バタフライエフェクト「2つの超大国 米中の百年」より
(一部、番組にはない補足情報の追加、視聴で得られた独自のインスパイアを含みます。)
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◆ 米中関係の源流

 中国は、1840年のアヘン戦争でイギリス に敗北して以降、列強の植民地状態にまで没落した。

 共同租界 となった上海では、中国人労働者は「苦力(クーリー)」と呼ばれて奴隷のように酷使され、賃金は「牛や馬よりも安い」とされた。

 また、日清戦争で日本に敗北すると台湾が日本に割譲され、こうして中国は、欧米列強と日本に欲しいままに収奪された。

 アメリカは、中国に宣教師らを送り込み、ロックフェラー財団は「発展の遅れた中国を助けるのは神から与えられた使命である」とする思想「マニフェスト・デスティニー」を喧伝して、病院や学校を設立した。

 それらの一環で、1911年に設立された「清華学堂」は、後の「清華大学」となり、民主主義を植え付けることで「親米派」人材を育成する「裏の目的」として活用された。

 19世紀末期には、アメリカのゴールドラッシュが36万人の中国人を呼び寄せ、サンフランシスコに「チャイナタウン」が形成された。

 奴隷制度 が廃止されたばかりのアメリカにおいて、中国人たちは「大陸横断鉄道の敷設」といった重労働に「低賃金」で従事させられる。

 大陸横断鉄道は、ロックフェラー、モルガン家(J・P・モルガン商会)などが出資して建築され、鉄道王ハリマンを生み出した。

◆ 親米勢力の台頭

 1937年(1945年まで)に日中戦争 が起きると、中華民国の蒋介石は「日本に勝つには、アメリカの支援が不可欠」と訴え、パンダを「友好の証」としてアメリカに送った。

 そして「日本軍が中国から撤退するまで、日本製品をボイコットしよう」と中華国民を鼓舞した。

 アメリカでは「かわいいパンダ」が人気を博し、友好ムードを醸成することに成功する。

 アメリカ国内では「パンダがいる中国を侵略する日本を許すまじ」という世論が形成される。

 さらに、戦前には「アメリカとは戦ってはいけない」と主張していた 山本五十六海軍大将が「渡米」を契機に米国側に利用され、突如「連合艦隊司令長官」に就任すると「真珠湾攻撃」を主張し、実行する。

 アメリカは「暗号傍受」で事前に知っていたにも関わらず、真珠湾奇襲が起きるのを待ち、これをもってアメリカ国民をたきつけ、世論を醸成し、日本に対して宣戦布告する。

 次いで、日中戦争支援として、中国に巨額の軍事援助を行い、中国国内の日本軍掃討作戦を開始した。

◆ 戦後の中国

 第二次世界大戦 が集結した4年後の1949年、米中の友好関係を一変させる出来事「中華人民共和国の成立」が起きる。

 アメリカ国内では、共産主義に対する恐怖が一気に高まり、「赤狩り」が行われ、その矛先はアメリカに住む中国人にも向けられた。

 一気に「米中対立」が高まると、代理戦争として朝鮮半島が選ばれ、朝鮮戦争が勃発する。

 中国が支援する北朝鮮 に膨大な「中国の義勇軍」が投入され、アメリカは「国連軍」を組織して韓国を支援し、間接的に戦火を交えた。

 日本は、アメリカに「無条件降伏」して属国となり、アメリカの「前線基地」として利用され、軍事特需に沸いた。

 敗戦で灰燼と期した日本が一気に復興してしまうほど、「戦争は儲かるもの」であり、これを巧みに操る「死の商人」たちは「あまりにも儲かる」ので、いつまでも「戦争をやめられない」のだ。

 各国に莫大な戦費を貸し付け、赤字国債を発行させて巨額の利子を取り、その返済に税金を増税させ、何も知らない民衆から搾取し続ける。

◆ 中国の文化大革命

 毛沢東の「造反有理」のスローガンの下、紅衛兵と名乗る若者たちは旧来の文化を破壊し、「反革命分子」とされた人々を暴行して殺害した。

 文化大革命の暴力と糾弾は、北京に暮らしていた当時13歳の少年「習仲勲の息子・習近平」にまで及んだ。

 習近平の父「習仲勲」は、それまで政府の要職に就いていたが「反革命分子」とされて失脚し、その息子「習近平」も4回の投獄と度重なる拷問を受けた。

 さらには、都市部の若者を農村部に移住させる「下放」の対象となり、延安の農村へと送り込まれる。

 ここでも過酷な労働を経験することになった習近平だが、1974年には11度目の申請でようやく共産党に入党し、翌年には模範的な農民として清華大学に「推薦入学する制度」を利用して入学することに成功する。

◆ 融和外交に一転

 習近平の大学進学と同じ頃、中ソ対立が深まる中でアメリカは冷戦を有利に進めるべく中国との接近を図った。

 まさに「敵の敵は味方」として、1972年にはニクソン大統領の「訪中」が実現する。

 この会談でアメリカは「台湾は中国の一部という主張を認識している」とする共同声明を発表した。

 その後も融和外交は継続し、1979年には米中の国交が正常化し、鄧小平は中国経済 を立て直すために「改革開放路線」を打ち出して西側企業に門戸を開いた。

 莫大な人口を抱える中国は、西側企業にとって格好の市場となり、多くの企業が進出した。

 アメリカは、中国でパソコンを売りまくり、マクドナルドが進出して「ハンバーガーとコーラ」を売りまくり、欧米ブランドは西側ファッションを売りまくった。

 アメリカのライフスタイルに侵略され、民主主義と自由主義が喧伝され、中華の若者たちが洗脳されていった。

 改革開放路線が打ち出されてから10年後の1989年5月。天安門広場は政治の民主化を求める10万人の若者たちで埋め尽くされていた。

 だが、習近平と共産党指導部にとって、その光景はかつての苦い記憶「文化大革命」を想起させるものに他ならず、学生たちの民主運動は人民解放軍によって蹂躙され「天安門事件」となった。

 アメリカの言う「民主化」とは、実はアメリカによる「民衆の奴隷化」なのだ。

 実は、(気づかずに)アメリカのために働き、アメリカ製品を買い、アメリカのために搾取される。それは、今の日本も同じである。

◆ 米中の対立へ

 アメリカは一転して、今度は「台湾総統・李登輝」を訪米させる。

 中国は「中国からの独立派」である李登輝の訪米を受け、台湾海峡で「ミサイル演習」を実施して「アメリカが台湾に介入すればロサンゼルスを破壊する」と警告する。

 アメリカも、ベトナム戦争以来最大となる戦力を台湾海峡に差し向けて威嚇した。

 当時、福建省の中堅幹部としてこの睨み合いを目にした習近平は、軍事力でアメリカに大きく劣る中国の実情に大きな危機感を抱く。

 これを契機に軍部との繋がりを強め、党内で存在感を増していった習近平は2013年に国家主席に就任する。

 習近平は、国家主席就任演説で「中国人民はいかなる外部勢力による抑圧や奴隷扱いを許さない」と宣言した。
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ロシア史「ロシアの源流」から現代までの変遷 [Essey]

■ ロシア史「NHK BS「ロシアの源流」」より

(一部、番組にはない補足情報の追加、視聴で得られた独自のインスパイアを含みます。)

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 ロシア は今でこそ大国ですが、もともとはヨーロッパの辺境に位置する弱小国で、数々の侵略を受け、蹂躙されてきた歴史があります。

 歴史 から、源流からのロシアの変遷を見ていきます。

◆ ロシアの源流
 9世紀(882年)、ロシアの源流となる「キーウ公国」が建国されます。

 この時は、現在のウクライナの首都キーウからモスクワまでが領土という小国でした。

 1223年、チンギス・ハーンのモンゴル帝国が襲来し、モンゴル軍に全領土を占領され、モンゴル帝国に吸収合併されます。

 モンゴル帝国の支配は、その後250年も続きました。

 ロシアの中心となるスラブ民族は、現在のルーマニアのカルパチア山脈周辺を原住地とし、中央ヨーロッパや東ヨーロッパに居住する農業民族でした。

 「スラブ」という言葉はロシア語では「弱い」という意味で、「奴隷」を意味するスレイブの語源になったと考えられています。

 モンゴルの庇護下で、モンゴルのハーンに収める税金の納入を引き受けたことで、最高位に就任できたウラジーミル大公は、最終的にモスクワ大公と呼ばれるようになります。

 1533年からイワン4世がモスクワ大公に即位しましたが、彼にはモンゴル王朝の血も入っています。

◆ 動乱の時代へ

 15世紀の終わりに、衰退したモンゴル帝国の支配からようやく独立し、ユーラシア大陸の北限と東側の広大な真空地帯に版図を拡大していきます。

 ロシアの国境が不明瞭なのは、地理的な境界が少ないことが起因しています。

 例えば、スイスであれば、南のイタリアとの国境近くにアルプス山脈があり、西側のフランスとの国境にはジュラ山脈とレマン湖があり、天然の要害となっています。

 スイスとドイツとの国境は、西側はライン川によって隔てられ、東側はボーデン湖が国境となっています。

 ドイツとフランスの国境には、大河「ライン川」が流れて「自然国境」となっています。

 ロシアの場合は、モンゴル高原東部のアムール川が、中国との国境にあるシルカ川とアルグン川の合流点から生じていて、中流部も中国黒竜江省とロシア極東地方との間の境界となっているぐらいです。

 そのほかは、国境を分ける山脈等もなく「地続き」であることが、国境線を難しくしています。

◆ 動乱時代を経てロシア帝国へ

 1605年、「ロシアの動乱時代」と呼ばれる無政府状態にあったモスクワに、ポーランド・リトアニア共和国が介入し「ロシア・ポーランド戦争」が開始されます。

 これもロシアが敗れて、モスクワをポーランド軍に占領されます。

 6年後の1611年、モスクワ解放を目指す国民軍が結成され、激戦の末にポーランド軍を追放することに成功し、ようやくモスクワが解放されます。

 モスクワ解放後、ロマノフ家のミハイル・ロマノフがツァーリ継承者(皇帝という意味)に指定され、1613年にロマノフ王朝が誕生します。

 1682年、ピョートル1世がロシア皇帝に即位し、ロシア帝国と呼ばれるようになります。

 1762年、エカテリーナ2世はクーデターによって、夫から皇帝の地位を奪って女帝として即位し、40年弱の治世を治めます。

 ドイツの下級貴族からロシアに嫁いだエカテリーナは、ボルガ川中流流域にドイツの農民を移住させて先進農業技術を取り入れたり、周辺国との戦争に勝ったりして、国力を高めていきます。

 美術品の収集家としても有名だったエカテリーナは、エルミタージュ美術館を創設し、19世紀半ばには一般市民にも公開されました。

 エカテリーナ女帝は、米国の独立戦争(1775年~1783年)の際に武装中立同盟を提唱し、フランスとともに英国を国際的に孤立させることで米国の独立を支援します。

 アメリカの南北戦争の際、英国が独立以降の経緯や奴隷貿易の関係から南部を支援したのに対し、アレクサンドル2世のロシアは艦隊を米国沿岸に派遣して英国の介入を阻止しました。

 この直前、ロシアはオスマン帝国と同盟した英仏によってクリミアで敗戦し、屈辱的な条約を結ばざるを得なくなります。

 敗戦に伴う莫大な戦費の支払いに迫られ、ロシアは維持費のかかりすぎるアラスカを1867年に、友好国であるアメリカに売却しました。

 売却価格は当時のお金で720万USドルで、現在の価値では1億2千300万USドルです。

◆ ナポレオン軍の侵攻と日露戦争

 1803年、ヨーロッパ征服に乗り出したフランスのナポレオンは、ロシアにも侵攻し、モスクワを占領します。

 しかし、ロシア軍がモスクワからの撤退時に火を放ち、モスクワが焦土と化したため、兵站の現地調達ができなくなり、冬の寒さを凌げる家屋もなく、冬将軍(寒さと飢え)によって撤退を余儀なくされます。

 1881年から84年にはポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害行為)が起こり、1903年からはユダヤ人の海外脱出が増えていきました。

 1904年、ロシアの南下政策によって、満州の支配権をめぐって日露戦争が勃発し、中国大陸が戦場となりました。

 日露戦争の資金がなかった日本政府は、戦費調達のためにニューヨークへ派遣された高橋是清が、ロンドンでHSBCのロンドン支部長であったキャメロン(イギリスのキャメロン元首相の高祖父)を中心とする金融団から、500万ポンド(1億円)の融資を受けます。

 さらに、夕食会で高橋の隣に座ったニューヨークのユダヤ系のクーン・ローブ商会代表のジェイコブ・シフから、500万ポンドの融資を受け、戦争期間中に総額2億円を貸し付けられます。

 当時としては、巨額の戦費を借金したことで、大量の兵器を購入し、日本に有利な条件にて、アメリカを介したポーツマス条約の締結でロシアと講和します。

◆ 世界大戦

 1914年、サラエボ事件に端を発した第一次世界大戦が勃発し、ロシアは連合国側について参戦するも戦果は得られず、長引く戦争による不況で国民の不満が高まりました。

 1917年 2月、労働者による大規模なストライキ(2月革命)の発生し、大量の兵士も革命側に合流したことで制御が利かなくなり、ニコライ2世が退位に追い込まれます。

 こうして、304年続いたロマノフ王朝が終焉して、労働者・農民・兵士からなる新政府ソビエトが設立され、世界初の社会主義国家ソビエト共和国となりました。

 1922年、10月革命を皮切りとして、革命派の赤軍と反革命派の白軍による内戦が勃発(ロシア内戦)し、赤軍の勝利によってソビエト共和国を盟主とするソビエト連邦が成立します。

 1939年、それまで水と油とされたナチス・ドイツと「独ソ不可侵条約」を締結しますが、1941年にはドイツが一方的に条約を破棄して侵攻し、連合国側として第二次世界大戦に参戦します。

 1945年8月8日、ヤルタ会談における密約に基づき、日ソ中立条約(41年締結)を破棄して日本に宣戦布告し、千島列島、南樺太、満州に侵攻します。

 1945年9月2日、日本も降伏して第二次世界大戦が終結し、戦勝国となったソ連は、敗戦国から多くの領土を獲得します。

 1979年、アフガニスタンが反共産武装勢力の手に落ちたことを受け、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、戦いは10年にも及んで、1万4000人以上ものソ連兵が戦死しながら、最終的に撤退しました。

 2012年、ウラジーミル・プーチンが大統領に再就任すると、2014年にクリミアに侵攻して一方的に併合、2022年にはウクライナに侵攻し、1年以上経った今も戦争が続いています。

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映像の世紀「スターリンとプーチン」 [Essey]

■ ロシアのウクライナへの侵攻が続く中、再放送された NHK『映像の世紀「スターリンとプーチン」』より。

 この番組は、何ら「主義・主張」等と関係なく、淡々と「当時の映像記録 = 歴史的事実」を伝えるコンセプトで制作されているので、それに倣います。

 近代史・現代史を「正確」に知っておくことも大切ですね。

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1.スターリン

 レーニンから始まった「社会主義革命」は、ソビエト連邦として世界初の社会主義国を誕生させた。

 レーニンが 53歳という若さで死去すると、後継者争いは軍部を掌握していた「トロツキー派」と書記長として人事権を握っていた「スターリン派」との争いとなった。

 スターリンは人事権を悪用して、共産党幹部からトロツキー派を排除し、スターリン派のみを登用して権力の独占を謀った。

 スターリン派で独占すると、トロツキーを嘘の理由をでっち上げて秘密警察に逮捕させ、政府と党の全役職を解任し、国外に追放した。

 トロツキーはまもなく、亡命先のメキシコで暗殺された。

 最高権力者となったスターリンは、強国化政策を掲げ、重工業化と農業集団化を推し進めようとする。

 無謀な目標を掲げ、政策は失敗続きだが、外向けのプロパガンダ映像では「いかに “計画経済” がうまくいっているか」をアピールし続けた。

 すると当時、世界恐慌に襲われて資本主義に絶望していた者のうち、隠されていた「ソ連の内実」を疑わない、プロパガンダ映像を真に受けて、社会主義こそ「理想の国」と騙される人々が続出した。

 例えば、アイルランド出身の文豪「バーナード・ショー」は、「資本主義のアメリカよりも、共産主義のソビエトの方が優れていることが明らかになりました」と声高らかにメディアの前で発表した。

2.ウクライナ

 ソ連のプロパガンダ映像で、もっとも多用されたのが「ウクライナの穀倉地帯」であった。

 肥沃な土地に、効率的な農業集団化が成功した例として紹介された。

 土地はすべて国有化され、農民は全員「集団農場」に強制加入させられた。

 そして「共産主義」の名のもとに、収穫された穀物はすべて「国に徴収」され、農民には作付けの種さえ残らなかった。

 1931年、ウクライナは天候不順による凶作に見舞われ、農民たちが飢饉に陥り、現地の「共産党幹部」はスターリンに「一時的に取り立てを止めるよう」懇願した。

 しかしスターリンは、「ウクライナの飢饉というのは作り話だ」と言って収穫物の徴収を止めず、飢えによってウクライナ人300万人が餓死した。

3.狂ったスターリン

 スターリンの「狂気」は激しさを増し、内実を知った妻「ナジェージダ」は、必死に「全人民を苦しめる」のを止めるように言うが、聞いてもらえない。

 思い詰めたナジェージダは、ピストルで「抗議の自殺」を決行し、自らの命を持って「スターリンの狂気」を止めようとする。

 それでも「狂ったスターリン」は止めるどころか、「この女は私を見捨てた敵だ」と叫んだ。

 妻の死から2年後の1934年1月、指導部を選任する「第17回 共産党大会」において、代議員の約300人がスターリンへの反対票を投じた。

 怒り狂ったスターリンは、反対票を投じた「犯人捜し」を始めるが、無記名投票であったため、筆跡だけで特定するのは不可能であった。

 それを知った「狂ったスターリン」は、代議員の600人のうち、無差別に300人を処刑した。

 この「粛正裁判」ようすは、映像として残っている。

 裁判で罪は捏造され、「人民の敵」とでっち上げられ、次々に死刑宣告がなされていった。

 スターリンはこの映像を全人民に見せることで、恐怖政治を植え付けていった。

 これをきっかけに、代議員のみならず、軍人・知識人・一般人も「粛正」と称して実行され、なんと自国民2千万人が殺戮された。

4.独ソ開戦

 1941年、ヒトラーが2年前に締結されていた「独ソ不可侵条約」を破り、ソ連に侵攻してきた。

 当時「粛正」によって多くの「将校」も失っていたソ連軍は、組織的な戦闘が行えず、惨敗を繰り返した。

 全勝状態のドイツ軍はウクライナを占領し、「ソ連から抑圧されていたウクライナを解放し、住民から歓迎されている」というニュース映像を流した。

 ドイツ軍は、飢えていたウクライナ住民に食料を提供し、スターリンの弾圧に苦しんできた住民の間では、「侵攻」してきたナチスを「解放者」として歓迎するムードが広がった。

 ウクライナでは、スターリンの像が次々に破壊され、肖像画は燃やされ、「スターリンへの反旗」が全土に及んだ。

 全戦全敗で追い込まれたスターリンはさらに狂い、戦いに負けても「撤退を許さない」として、戦場に「特別阻止部隊」を派遣し、撤退しようと知る兵士を「敵前逃亡兵」として撃ち殺した。

 阻止部隊に捕らえられた兵士はその場で銃殺され、その家族は「強制収容所」へと送られた。

 ソ連兵は前後から撃たれるため、恐怖と憎悪で自暴自棄となり、ドイツ軍に向かって無謀な突撃を繰り返した。

 最前線のレニングラードでは、水も食糧も尽き、100万人以上が死亡した。

 それでもスターリンは、「我が国の人的資源は無尽蔵である」と言い放った。

 第二次に世界大戦におけるソ連の死亡者は、2700万人にのぼった。

 ようやくドイツ軍が撤退した8年後、激戦があったレニングラードで、ウラジーミル・プーチンは誕生した。

 1953年3月、ソ連の人民を苦しめてきたスターリンが死亡した。

5.プーチン

 少年時代のプーチンは、当時流行っていた柔道に熱中し、映画「スパイ・ゾルゲ」を観て感化され、スパイになりたい、なろうと思うようになる。

 プーチンは大学を卒業後、希望どおり「KGB」に入局し、徹底的な訓練を受けた。

 1985年、プーチンはスパイとして当時の東ドイツ ドレスデンに送り込まれる。

 その4年後の1989年11月、「ベルリンの壁」が崩壊し、市民の憎悪と怒りは頂点に達し、もと秘密警察署を選挙し、KGBベルリン支部へ殴り込んできた。

 プーチンは建物内で必死に秘密書類を焼却し、市民による暴動だとして、駐留ソ連軍に出動要請するが、彼らが到着したのは数時間後であった。

 こうして「社会主義国家 ソビエト連邦」は消滅し、周辺国の独立が相次いだ。

6.ロシアの激変

 レーニンから始まった「社会主義」が崩壊し、資本主義である「市場経済」が導入されて社会主義は消滅したのに、「共産党 独裁政治」体制は残るという異常な体制となった。

 紙幣は紙切れ同然となり、市民生活は破綻した。

 国営企業は二束三文で売却され、年金制度も崩壊し、家賃が払えずに野宿する老人が街中にあふれた。

 まもなく、市場経済をフルに活用した新興勢力が勃興し、新興財閥(オリガルヒ)へと膨張していった。

 こうして、貧富の格差は極限にまで達した。

 失意に陥ったプーチンは、忠誠を誓ったはずの KGBに辞表を出し、タクシーの運転手となって、なんとか生計を立てていた。

 そんなプーチンの転機となったのは、故郷レニングラードの市長選挙に出馬した母校の恩師に誘われ、選挙対策本部の一員になったことだ。

 元KGBの肩書きが役立ち、票田となる団体や新興財閥や外国企業とのコネクションも築いていく。

 市長選に勝利し、獲得票を伸ばした実績が認められ、市長の右腕として副市長に任ぜられ、政治家へと変貌していく。

 こうしたレニングラードでの政治的活躍が中央の目にも止まり、エリツィン大統領府にヘッドハントされる。

 その直後、エリツィンの汚職スキャンダルがすっぱ抜かれ、ロシア検事局によるエリツィン政権打倒作戦が開始される。

 すると1998年、エリツィンは KGBの後継機関「FSB」の長官にプーチンを指名する。

 プーチンはさっそく、FSBの諜報能力を悪用し、捜査妨害を始める。

 エリツィン汚職追求の急先鋒である検事総長の盗撮映像を公開し、スキャンダルで罷免に追い込み、絶体絶命であったエリツィンは窮地を脱出してしまう。

 エリツィンは、助けてもらった見返りに、プーチンを首相に任命する。

7.プーチンが大統領に

 1999年、ロシア史上最大の大規模テロ事件がロシア各地で発生し、大型マンションが爆破されるなど、300人以上が犠牲となり、大きな社会不安が起こった。

 首相となっていたプーチンは、当時ちょうどロシアからの分離独立問題に揺れていた「チェチェン共和国」を標的にして、何の証拠もないのに「このテロはチェチェンの仕業だ」と断定し、報道インタビューで「1人残らず抹殺する」と狂言した。

*元FSB局員のリトビネンコがイギリスに亡命後、「あのテロはFSBが実行した事件であり、その犯人を捜査するというのは自作自演だ」と暴露した。(その後、リトビネンコは亡命先のイギリスで毒殺された。)

 こうして「第二次 チェチェン紛争」が勃発する。

 プーチンは「あくまでテロリストの掃討」という嘘を建前に、大規模な軍事攻撃を開始する。

 プーチンは連日、ロシア国内のテロの犠牲者・遺族への見舞い映像と、チェチェンへの軍事侵攻を交互に報道させてプロパガンダを展開し、国民の支持率は70%を超えた。

 紛争が終了した2000年、ついにプーチンは大統領に就任する。

 プーチンは、クチでは民主主義と市場経済を標榜するが、実際は「独裁体制」を築くのが目的だった。

 そこで、政府に敵対する新興財閥(オリガルヒ)を徹底的に弾圧して潰し、国営化した。

 プーチンは、それまで富を独占してきたオリガルヒを糾弾する映像を流し、市民の溜飲を下げつつ、支持率アップにつなげた。

8.NATOへの宣戦布告

 2007年、「ミュンヘン安全保障会議」でプーチンは、NATO への事実上の宣戦布告をした。

 翌年、ソ連崩壊以降自粛されてきた大規模な「対独戦勝記念日」軍事パレードを復活させる。

 さらにはTVインタビューで、「独裁者スターリン」について「スターリン とスターリン主義」を褒め称え、ロシアは劇的な進歩を遂げたと狂言した。

 そしてドイツとの戦いにおいて「どれだけ犠牲者が多過ぎると言われようと、勝利したのである」と続けた。

 2022年、プーチンは「ウクライナ は、ナチスドイツの侵攻を解放として歓迎した奴らだ」として、スターリン以来の「ウクライナ占領」を目指して「狂気の侵攻」を開始した。』

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NHK「abc予想 証明物語」完全版 [Essey]

■ NHK BS『NHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか」
 abc予想証明をめぐる数奇な物語』<完全版>より

* 2022年4月15日(金) 23時から放送された番組。

 2020年に「望月博士が、abc予想をついに証明」というニュースを聞いて以来、自分としては「待ちに待った」解説番組の登場です。

 この番組を視聴してのメモと、インスパイアされながら自分なりに獲得できたものを含んだ記事となります。

※ 単に番組内容を「文字起こし」したものではありませんので、番組には存在しない内容を含みます。

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 「abc予想」は、数論の歴史上「もっとも重要な難問」とされてきました。

 例えば、350年間も解き明かされなかった「フェルマーの最終定理」が、abc予想が正しいとするなら、たった「数行」で証明できてしまうほどの破壊力を持つからです。

*フェルマーの最終定理:Xのn乗 + Yのn乗 = Zのn乗 となる自然数の組 (x, y, z) は存在しないという定理。

 「abc予想」には、「足し算と掛け算を分離できる」という「革命的な力」が備わっていたためです。

 これまで不可能だった「足し算と掛け算を分離」できれば、数々の「証明不能とされた難問」が「ドミノ倒し」のように一気に解決できてしまうのです。

 数々の天才数学者たちが挑み、ずっと不可能だった「abc予想」の証明をついに、望月新一 京都大学数理解析研究所教授が成功し、2020年4月3日に発表しました。

 この「証明」成功は、「重力の発見」や「微分積分の発明」にも匹敵する以上の「偉業」と言えます。

 発表した論文のタイトルは「宇宙際タイヒミューラー理論」です。

 すでに「査読」も完了し、専門誌に正式に論文が掲載され、証明は完了しています。

◆ あまりにも難解過ぎて、大多数には理解できない理論

 証明は完了しているにもかかわらず、今だに「国際的な会議に出席するような世界的な数学者」の大多数が理解できていません。

 ここでも、例外なく「2:6:2の法則」が適用されていて、「8割の数学者には理解できない」という状況が起きています。

*2:6:2の法則
「パレートの法則(上位2割の人が、全体利益の8割を生み出す)」の変形版で、仕事ができる人は全体の2割、並みの人が6割、低い人が2割という比率に必ず分かれる黄金比のこと。

 世界的な数学者においても、「宇宙際タイヒミューラー理論」を理解できた人は「2割」のみだったのです。

 これは例えば、初めは「地動説」を「誰も理解できなかった」のに似ています。

 人が見ているとおり、「天」が動いているのであって、「地」は止まっているじゃないかと。

 同じく「地球は球体」で、「太陽の周りを回っている」のだと。

 これに対して「もし球体だったら、地球の横側や下方にいる人は落ちてしまうじゃないか」と。

 どう見ても「地球は平面で、止まっていて、太陽が毎日動いている」じゃないかと。

◆ 望月博士とは

 望月博士は、16歳で米プリンストン大学に入学し、19歳で博士課程へ進んだ、世界が認める天才です。

 社交的な場には一切現れず、人付き合いはごく少数のみです。

 おそらく、ほとんどの人とは話が合わないから、うっとうしいのでしょう。

 それも「理解できない人たち」は、「何を考えているのかよくわからない、謎めいた人物」と言うようです。

 望月博士のことを理解できる、ごく少数の人は「そりゃ彼にとって “くだらない会話” ほど苦痛なものはないから、当たり前でしょう」と。

◆ abc予想とは

 1985年、ジョゼフ・オステルレ博士とデイヴィッド・マッサー博士により提起された数学的問題です。

 「a+b=c」(例:2+3=5)が成り立つ自然数「a、b、c」において、積「abc」(例:2×3×5)の素因数に関する数論上の予想です。

 「aのn乗」を因数分解した時に「同じ素数(例:2)」を何回使っているか、同じく「bのn乗」を因数分解した時に「同じ素数(例:3)」を何回使っているか、そしてその「2つのn乗」を足した時に「cのn乗」は「同じ素数を何回使っているか」を予想する数式です。

 この時「cのn乗」は、「同じ素数を1回ずつ」または「cを2回」使うことになるというものです。

 例えば「2+3=5」で計算すると、「n乗」の「n」にどんな数を入れても、確かに成立します。

 しかし、この式が「あらゆる場合に成立するのか?」を世に問うたのです。

◆ 従来の数学の破壊へ

 「ポアンカレ予想」で有名な数学者アンリ・ポアンカレは「数学とは異なるものを同じと見なす技術である」と語りました。

 例えば、「りんご3つ」と「ロープ3本」は、「まったく異なるもの」だが、同じ「3つ」という概念を編み出しました。

 さらに人類は、18世紀から19世にかけて、図形と数式という「まったく異なるもの」を「同じ面積・意味」と定義することに成功しました。

 20世紀には、滑らかな「曲線」を「数値で表す」ことにも成功しました。

 望月博士が、超難問「abc予想」を解き、数学的に証明するには、この既存の「数学」を根底から壊す「破壊的イノベーション」が必要だったのです。

 望月博士は、学生時代に「理想とする人物像」として、ブログに「Noと言える人間」と書いていました。

 他人とは「逆の発想」によって、それまでの「常識」を打ち破り、既存の「概念を破壊する」ことを目指していたのでしょう。

 望月博士は2000年、楕円曲線の「ホッジ・アラケロフ理論」を構築した際に、abc予想が解けるかもしれないと考えたそうです。

 そこで、望月博士が認める数少ない天才 加藤文元 博士(東京工業大学教授)と2人で、ついに「abc予想の証明」に取り組み始めました。

 望月博士は、加藤博士に「abc予想を証明するには、普通の数学では無理で、まったく新しい数学を創り出さなければならない」と語っていました。

 加藤博士によると、

「望月博士は、ポアンカレの逆を行こうとしたのです。

 つまり「異なるものを、同じものと見なす」の逆で、「同じものを、異なるものと見なす」という新概念です。

 その「2つが同時に成立しても良いのではないか」という新理論です。」

とのことです。

 こうして望月博士は、「abc予想を証明する」ために、これまで人類世界になかった「まったく新しい数学」を創造してしまったのです。

◆ 「宇宙際タイヒミューラー理論」の難解さ

 望月博士は、数学の世界を「2つ」用意し、「2つの世界が同時に成立する」という革命的新理論を構築しました。

 例えば「1つ目= aの世界」は、普通の「掛け算が成立する」世界、「2つ目= bの世界」は、「aの世界」にある数字を「2乗した世界」とします。

 この場合、「掛け算だけ」であれば「常に、aでもbでも成立する」のに、「足し算」だと「aでは成立するのに、bでは成立しない」宇宙となります。

 つまり「掛け算だけが成立する世界」と「足し算が成立しない世界」が、「同時に2つ成立する」という新概念を打ち立てたのです。

 こうすることで「掛け算と足し算」をついに分離し、掛け算と足し算が混在するからこそ難問だった「abc予想」を証明することに成功したのです。

 この「破壊的新概念」は、既存の「従来の概念」に縛られる人々(8割)には理解できず、柔軟な思考で取り入れられる少数の人(2割)には理解されたのです。

◆ 最大の理解者、加藤博士の解説について

加藤博士
 「宇宙際タイヒミューラー理論」を理解できるか、できないかは「対象に関する認識論」の問題だと思います。

 わかりやすく例えるなら、我々は日常的に実は「異なるものを、同じものと見なす」と同時に、「同じものを、異なるものと見なす」ことをしているわけです。

*先の例「りんご3つ」と「ロープ3本」で言えば、同じ「3つ」という認識と「素材も形状もまったく違う」という認識、「同じと違う」が「同時に成立している」という認識を矛盾なくしているわけです。

 これは「既存の現代数学」においても、実はすでに普通に使われているのです。

 例えば「平面」を考える時、「X座標とY座標」という2つ数直線は、「数直線としては同じもの」であるのに、「X方向とY方向」の「別なもの」としています。

 もし、2つ数直線を「同じ数直線」と「同一視」してしまったら、「1つの線」になってしまいます。

 2本の数直線を「ここでは、同一視しない」からこそ、「平面」を表せるわけです。

 我々はすでに、時と場合によって「同一視したり、しなかったり」をしているという「認識」の問題なのです。

 今だに「理解できない」と言う数学者は、この認識・概念を「受け入れられるかどうか」なのかなと思います。

 もし、もっと多くの人に理解してもらうのだとしたら、現今の数学との違いを完全に「言語化する」ための「新しい数学の言語体系」を生み出さないと難しいのかもしれません。

◆ 加藤博士の解説を聞いてインスパイアされたこと

 単に「同じものと違うもの」が「同時に成立する」という概念なわけですが、なかなか理解できない「数学者」がいるのは悲しいことですよね。

 従来の概念に縛られず、もっと思考を柔軟に、広い視野・高い視点で俯瞰すれば良いのにと思います。

 「理解できない数学者」たちに、理解させるためには「数学ではなく、新しい言語まで生み出さないといけない」というのは馬鹿げた話ですね。

 小数の「理解できた数学者たち」が、「理解できない数学者」のために、新たに「説明するための新言語体系まで構築する」という難題に取り組み始めたそうですが、これまたたいへんな難事業ですね。

 「天動説」を信じ切っている人に、「地動説」を理解させるのが難事業であるのと同じように。


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NHK BS『最後の講義』福岡伸一 博士 [Essey]

NHK BS『最後の講義』福岡伸一 博士
 人生の集大成としての講義シリーズ、生物学 編。

<受講メモ>
1.人体は個体ではなく、流体である

(1) 食物とは
 人は毎日ご飯を食べ、ご飯は体内で燃焼され、熱エネルギーに変換され、体温を生み出し、運動エネルギーにも変換される。

 同時に、体の細胞に溶け込んで、体の一部となって置き換わっている。

 髪の毛やツメだけでなく、体の「あらゆる細胞」が「食べ物の細胞」と置き換わっている。

 これを自動車で例えれば、「燃焼させるためのガソリン」のうちの「ある割合」が、ハンドルや座席やタイヤの「一部に溶け込んで置き換わっている」ということになる。

 食べ物はすべて、「体内で燃焼されるか、体内の細胞に置き換わるか」のどちらかなので、排泄物というのは「置き換わった細胞の塊」なのである。

 つまり、1年前の自分と今日の自分では、物質レベルで言えば「まったくの別人」となっている。

 よって「食べ物が悪い」と、劣化した細胞と置き換わってしまい、寿命を縮めることになる。

 例えば、狂牛病というのは、牛に「肉骨粉」という動物の死骸から作った飼料を与え続け、本来「草食」だった牛を強制的に「肉食」に変えさせ、羊のスクレイピー病の死骸を牛が取り込むことで発生した。

 同じく、狂牛病の牛を食べた人間が、この病を取り込み、ヤコブ病となった。

(2) 記憶とは
 人は、1年でまったくの別人になってしまうのに「なぜ記憶が失われないか」と言うと、すべての記憶は「神経細胞・ニューロンの回路網」として記憶され、個々の細胞に埋め込まれているわけではないからだ。

 ニューロン回路網の「電気が流れた場所」が記憶として蘇るしくみなので、あらゆる記憶は消えないし、すべての記憶は思い出せるようになっている。

 ただし、常に脳に情報が溢れかえっていると混乱するので、今「必要ではない記憶」を思い出さないようにする脳内物質が分泌されている。

(3) 動的平衡
 動的というのは「常に動いている」、平衡はバランスということであり、絶え間のない流れの中で、常に「合成と分解」がなんとかバランスをとっているのが生命である。

 生命は「動的平衡」を保っているからこそ、ある一部が欠けてもそれを代替するものが現れたり、機能を保全し合って、新しいバランスを生み出している。

 生命は、自分の細胞が老朽化する前に、自ら積極的に「分解」し、合成し直すことで、長い時間「秩序」を守り続けている。

 老化というのは、分解と合成を繰り返していく中で、わずかに酸化物や老廃物が残留し、それが微量に蓄積していくことで起きる現象である。

2.脳死と脳始の本質とは
 人の「死とは何か」を定義する時、以前は「心臓停止、呼吸停止、反射停止」の3つによって「死」と判断されていた。

 これに対して「脳死」というのは、まだ「心臓や呼吸器官」が動いていても「人の死」と判断するという、新しい定義である。

 ではなぜ、「脳死」という新たな定義が生み出されたかと言うと、これは「医療の発展」でもなんでもなくて、そこに産業が発生したからである。

 脳死という新たな定義による「産業 = 臓器移植」は、莫大な利益を上げる一大産業になっている。

 同じく「脳始」というのも、「受精卵の誕生」が人の始まりではなく、「脳が活動を始めた時」と新たに定義することで、胎児の脳が機能する前であれば、臓器も細胞も「転用できる」という「新産業」のための定義である。

 この「新定義」によって、世界各地で実際に「胎児の細胞を使って、新たな再生細胞を作る」など、単なる「ツール」として使用されている。

3.理系と文系を分けるのは無意味
 2011年、福岡博士は、文系の教授となり、理系の研究室を閉鎖した。

 理系の「ミクロな、機械論的なアプローチ」を止め、概念的、思想体系的アプローチを行うためだ。

 また、そもそも「理系・文系」という垣根を越えたアプローチが必要であり、理系と文系を分けるのは「まったくの無意味」と考えている。

 よって、今の大学のあり方にも疑問を感じている。

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性善説と性悪説(更新版) [Essey]


 以前に「性善説と性悪説について考える」という記事をアップして、「言葉としての誤用」にスポットを当てながら、「善悪の定義」を自分なりにまとめていました。
 ↓
https://virei.blog.ss-blog.jp/2017-09-01

 この度、自分の中で「性善説と性悪説に対する考え方」が(その後の約4年間の成長で)新たに更新できましたので「更新版」としてまとめ直しました。

 今回ふと、自分の中から新たに生み出された「既存の概念を破壊する新概念」は、「性善説も性悪説も、両方間違い」というものです。

 それは、人間はもともと、初めから「善と悪を共存して生まれる」という視点です。

 人は、生まれ落ちた瞬間から、常に「善と悪」をバランスして生きているのだと。

 どちらが「先」でも「後」でもないのだと。

 つまり、孟子と荀子への挑戦 =「反旗翻し」です(笑)

 人は誰でも、実際の「現実の社会」において、常にあらゆる事象に対して「自分はどこまで善であるべきか、悪であるべきか」を考え、判断・決断し、選択しています。

 「これ以上、悪であってはいけない」「これ以上、善人ぶるのはおかしい」と判断し、「ちょうど良いバランス」を探す意識が働きます。

 それに対して「悪人」とは、悪方向に歯止めが利かなくなった者のことです。

 自分の子どもでも親でも殺す、一般市民に発砲して殺戮しまくるなど、完全に「歯止めを失った」状態です。

 同じく「善人」とは、善方向に歯止めが利かなくなった者のことであり、すぐに「悪人にも人権がある」「更生の機会を」「死刑反対」とか言い出す人たちです。

 そうして軽量刑で許された者が再犯を犯して、そこでまた失われる被害・悲劇を、何も考えずに無視する人たちです。

 あるいは「鯨は哺乳類だから捕鯨を禁止しろ」とか「動物を殺してまで食べなくて良いと言うベジタリアン」、さらにはビーガン(ヴィーガン)は「卵や乳製品も食べない」のだそうです。

 環境活動家?、グレタ・トゥンベリさんの「ヒステリックな訴え」のしかた、主張の正当性だけを盾に「どんなひどいことでも言う」という姿勢にも、違和感を持つ人は少なくないと思います。

 それらの意識・行動は、自分が「善人ぶる」ことで、利己的な優越感を求めているに過ぎないと思うわけです。

 このような人たちは「善」方向に狂信し、「歯止め」を失ってしまっています。

 極端な善と悪は、どちらも「バランスを失った偏執狂」に違いはなく、「善人ぶる」に偏った、バランスを欠いた、「悪」と同じレベルの偏狂であり、異常執着に過ぎないわけです。

 偏執的に「善」を崇拝し、思考を硬直化させ、それ以外を一切認めなくなり、排斥まで始めます。

 異常な「攻撃性」を持っている時点で、もはや(本来の、バランスの取れた)「善」ではないですね(笑)

 そういった意味では「性善説」も「性悪説」も、そもそも「どちらかしかない状態で生まれる」と考えている時点で、大きな勘違いをしているという視点に気づいたわけです。

◆サッカーの例

 大好きな「サッカーをしながら学べた」ことを例にすれば、試合で反則をすれば結局負けるし、善人ぶっていても試合に勝てません。

 サッカーには「マリーシア」というブラジル発祥のポルトガル語である「サッカー用語」があります。

 単語の直訳では「ずる賢い」という日本語になりますが、実際には「したたかさ」に近い意味合いを持ちます。

 サッカーの試合中における「駆け引き」のことであり、「豊富な経験から得た知恵」という意味でもあります。

 相手を騙すフェイント、相手を誘い込んでボールを奪う、いち早く「相手の弱点」を見つけ出して、そこを徹底的に狙うなどです。

 「勝利」が間近に迫ったら、相手陣地でゆっくりボールを回す、相手選手をイライラさせて反則を誘う、セットプレイで相手の守備体系が整う前に始めてしまうなど多種多様であり、手法も多岐に渡ります。

 強いチームほど、マリーシアに長けているし、弱いチームほど「何も考えずに」サッカーしているものです。

 自分の中に「常に善悪が共存する」ことを明確に理解し、強い意志を持ってそれを制御し、適切に・的確に「使い分けられる、歯止めを利かせられる」人こそ、至高の存在なのだろうと。

 至高の存在を目指すはずの「世界中のあらゆる宗教」は逆に「善人ぶる」に偏ってバランスを欠き、「悪」と同じレベルの偏狂に陥り、異常執着に過ぎないのではないかと。

 偏狂に「善」に執着し、思考を硬直化させ、それ以外を一切認めなくなり、ほかの宗教の排斥を始め、ついには「宗教戦争」にまでエスカレートすると。

 戦争するのが、ほかの宗教信者と殺し合うのが「善」なのかと。

 ということで、次の言葉で完結できるという結論に達した次第です。

『世の中から「極端な善と悪」を一掃すれば、随分と良い社会になるだろう。』
 by Virei

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「サピエンスとパンデミック」番組視聴後レビュー [Essey]

ETV特集「サピエンスとパンデミック 〜 ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業」レビュー

 世界的ベストセラー(全世界1600万部以上)「サピエンス全史」の筆者である、ユヴァル・ノア・ハラリ博士(イスラエル人歴史学者)による講義を視聴し、自分が感じたこと・考えたことのレビューです。

 よって、番組内容やハラリ博士の考えをまとめた記事ではありません。
 もちろん、基本的にハラリ博士の指摘・意見に賛同ですし、大いなるインスパイアを受けていますが、完全に一致するものではありません。

 あくまで、この番組によって引き出された自分の意見・考えであり、番組内ではまったく語られていない内容も含みます。

<公式サイト:番組紹介ページ>
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/6J725J6328/
*初回放送は、結構前だったようです。アンコール放送で視聴しました。
---------

1.認知革命
 人間だけが大人数で協力し、大きな仕事を成し遂げる能力を持つことができるようになった。

 お金が貨幣として機能するのは、人々の共通認識が前提にあるからであり、もし「こんなものと、自分の商品は交換しない」という人が多数派を占めれば、その貨幣の価値は崩壊する。

 例えば、デフォルト(債務不履行)して、ハイパーインフレとなり、その国の貨幣価値が消失した国では、誰も自国の貨幣で取引をしなくなる。

 驚くべきことに、アメリカを敵視し、ジハードを叫ぶイスラムの人々、さらにはテロまで起こす組織でさえ、取引には(自国通貨ではなく)ドルを使っている。

 この事象に誰も疑問を持たない。これは本当に驚くべきことだ。

◆ 宗教とは単なるフィクションである
 まず考えて欲しいのは、「信心深い」とされる人々でさえ、自分たちが信仰する宗教以外はすべて否定しているという事実だ。

 キリスト教を信じる人はイスラム教を否定し、イスラム教を信じる人は仏教を否定し、仏教を信じる人はユダヤ教を否定する。
 自分以外の宗教は嘘だ、フィクションだ、そんなものを信じるなと。

 つまり、これは結局、全員がまわりまわって、すべての宗教を否定していることに相違ないのに、多くの人がこの矛盾に気づいていない。

 何より大切なことは、「全知全能の神」のストーリーが、「不完全な存在」である「人間によって作られた」ものなんだと理解することだ。

 人間は、どんなにがんばっても、完全に「神」を理解することなどできない。
 人間は「神」ではないし、「神」にもなれないのだから。
 良く考えてみれば「そんなの当たり前」ということに気づくだろう。

 世界三大宗教と言われるものであれば、2000年以上前にその時の聖職者が作り出したストーリーであって、「絶対的な真実」などではない。

 そもそも、人間という限られた知能の動物が「全知全能の神」を理解することができ、それを「こうだ」と語ろうとしている時点でおこがましいということに気づいて欲しい。

 例えば、「神」が「人間と同じ見た目」をしているというストーリーを語っている時点で、とても「低レベル」なフィクションであることがわかる。

 まさか「神」が、人間の形をしているはずなどないのだ。
 しかし驚くべきことに、これを多くの人が信じてしまう。

 こんな「人間の勝手な解釈」で作り出した「神のストーリー = フィクション」を信じて、殺し合いまでしている。実に馬鹿げたことだ。

 21世紀にもなる今日、いい加減にこのことに、全人類が気づいて欲しい。

2.農業革命
 12000年前の農業革命によって、人類社会に初めて「支配層」と「搾取層」が生み出された。

 狩猟時代であれば、食糧のために動物を狩ることはあっても、それらを「支配する」という概念などなかった。

 サバンナでシマウマを狩っていても、狩り尽くせば、また別の土地に移動するしかない。

 そこへ「農業」という革命が起きると、動物用の柵を作り、その中で繁殖させ、それらを「食用とする = 支配する」という概念が生まれた。

 動物を檻の中に閉じ込め、餌を与え、その家畜を「自分が所有する」という感覚が生まれた。これは「自分のもの」だと。

 すると、牛や鶏といった家畜を「所有する」できるのだから、人間だって所有できるという概念が生まれ、奴隷制度が始まった。

 さらに、王は市民を支配し、市民は奴隷を支配し、男は女を支配し、女は自分のペットを支配するという時代が始まった。

 こうして人類社会は、人々を「支配する層」と「支配される層 = 搾取層」の2分化された。

 これを正当化するために、ありとあらゆる嘘のストーリー、でっち上げが作られた。

 しかし科学的には、王は市民と何も変わらないし、市民が奴隷よりも優れているわけでもない。

 さらには、人間のある集団が、ほかの集団より優れているとか、「民族で優劣を競う」といった馬鹿げたことが発明され、「集団ごと支配する = 植民地化して支配する」といった蛮行まで始まった。

(1) 人種差別とは自虐行為
 人種差別というのは、それを行う人間を愚かにする行為である。

 自分が所属する人種が優秀だと錯誤し、ほかの人種を否定し、それらの人々が持つ「知恵や文化」から学ぼうとしないのは、自分たちの人種を弱体化させ、愚かにさせる自虐的行為にほかならない。

 歴史学的な「人類の発祥」を考えれば、アフリカで最初の人類が誕生した祖先は「1つ」であり、その後ヨーロッパに進出した人々がその土地に順応し、肌の色素が薄く、白くなっていったに過ぎない。

 どんな動植物も、遺伝子の進化の過程で、さまざまに変化していく。
 蝶々に、あんなにもバラエティに富んだ模様の種類が存在するのも、カメレオンのようの1個体が肌の色を変化できる能力を身につけられたのも、長い年月の遺伝子の進化によるものだ。

 生物学的な「生き残り」戦略によって、より各地の環境に適用 =「環境適応」していったに過ぎない。白人も黒人もないのだ。
 もともと全人類は同一であり、そもそも人種も民族も存在しない。
 それらはすべて「作られたフィクション」に過ぎない。

 それどころか、生物学的見地で言えば、我々人類は「純粋なホモ・サピエンス」ですらない。
 遺伝子レベルで解析すれば、東洋人にも「ネアンデルタール人」の遺伝子が見つけられる。

 それは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人などのほかの種族との交配した子孫であることを示している。
 つまり、人種とか民族とかいった概念そのものが、まったく意味のない、馬鹿げたものである。

(2) 税金の本質
 農業革命によって「支配層」と「搾取層」に2分化された人類社会は現在、「税」によって「人々を支配する層」と「搾取される層」に分けられた。

 税金を払っている人はすべて「搾取層」であり、「支配層」は一切「税金」など払っていない。

 逆に「税金」の中から、自分たちの「給与」を(自分たちの言い値で)取得・搾取している。

 例えば「年間2千万円欲しい」と思えば、自分たちで「3千万円」という「給与」を設定し、その中から「1千万円」を戻して、自分たちも「納税している」と主張すれば良いだけだ。
 それは単なる「内訳の操作」に過ぎず、何も支払ってなどいない。

 そして、お金が足りなくなれば「税率」をアップして、重税をかけて「搾取量」を増やせばいいのだ。支配しているのだから。

 先日、世界中の支配者層(各国元首など)がタックスヘイヴンに口座を持ち、脱税していることも暴かれた。

3.科学革命
 ホモ・サピエンスは、むこう100年から200年の間で「消滅する」と考えている。

 それは「人類が絶滅する」ということではなく、別の種に「進化する」という意味だ。

 ホモ・サピエンスは、新たな科学技術によって「自らをアップグレードする」と予想している。

 人類はすでに「遺伝子操作」によって、「遺伝子組換」食品を作り出しているし、中国で行われた「遺伝子操作ベビー」の誕生も賛否両論を引き起こした。

 そのため、多くの先進国で「人間に対する遺伝子操作」を禁止する法律が作られたが、今後「地球温暖化」などの環境変化が激化すれば、そうも言ってられないのではないか。

 人類は「気候変動」に環境適応するため、「生き残り戦略」として遺伝子操作を行うかもしれない。

 あるいは、新型コロナの危機によって「肉体を持つ」ことが人類が滅亡しかねないリスクだと突きつけられたので、次なる「生き残り戦略」として「肉体」そのものを捨てる選択をするかもしれない。

 自分たちの「知能・頭脳」をシリコンチップに移し、生物学的な「肉体」を捨ててしまえば、ウイルスも気候変動も脅威ではなくなる。

 食糧問題も消滅するし、人類がどれだけ増えようとも、物理的な「土地問題」も消失する。

 生物学的な「肉体を捨てる」ことが、人類にとって圧倒的に有利になる「生き残り戦略」となるだろう。

 こうして「ホモ・サピエンスは消滅する」のだ。

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NHK『新型コロナ AIによる全論文解読』レビュー [Essey]


『NHKスペシャル「新型コロナ AIによる全論文解読」レビュー

 新型コロナに関する全世界20万の論文を AI に読み込ませて、解読させました。

 20万もの論文を読んだ人類は、世界のどこにも存在しません。

 AI で各論文の相関関係を解析し、より多く読まれ、引用されている論文の評価点を高くし、評価の低い論文のランキングを下げるようにしました。

 加えて、エビデンス(実験・調査などの証拠)がしっかりしている論文の評価点を高くし、より信憑性の高い有益な情報と位置づけました。

 これらの詳細な解析により、次の重要なポイントが浮かび上がったのです。

1.交差免疫

 ヒトは、あるウイルスに感染すると、免疫細胞 によって抗体が作られます。

 この抗体を作り出す免疫細胞の効果は、一定期間保たれます。

 この免疫システムを利用するのが予防接種であり、ワクチンです。

 この時「類似のウイルス」が侵入した際にも、ある程度の効果は発揮でき、専用の抗体ではなくても、類似ウイルスの活動を阻害するのに役立ちます。

 これを「交差免疫」と言い、例えばインフルエンザの予防接種でも、別の「型」が流行したとしても、予防接種をしてないよりは重症化を防げるというのはこのためです。

 新型コロナウイルスは7種目のコロナウイルスであり、これまで人に感染するコロナウイルスには、「季節性コロナ(4種)」「SARS」「MERS」の6種があります。

 このうち、普通の風邪を引き起こす「季節性コロナ」は、日本を含めた東アジア地域で繰り返し流行しているため、東アジア人の多くがこの交差免疫を持っています。

 東京大学医学部附属病院検査部の調査によると、日本人の75%がコロナに対する交差免疫を持つことがわかりました。

 新型コロナ患者のうち、過去5年間に「季節性コロナ」に感染歴があるかどうかとの相関関係を調べたところ、

A.感染なし → 3割が重症化
B.感染あり → 重症化は5%のみ

となりました。

 つまり、欧米や南米で重症化・死亡者が多く、東アジアで重症化・死亡者が少ないのは、この「交差免疫」の有無が大きく関係していたのです。

2.微量感染

 日本を始めとする「マスク着用」が徹底している国では、感染者と出会った際に、マスク越しに「微量に感染する」ことになります。

 新型コロナウイルスが、ごく微量に体内に侵入することで、発病まではせずに、体内の免疫システムで処理することができ、新型コロナウイルスに対抗できる「新たな抗体」が作られます。

 これは「無症状感染者」であり、新型コロナの予防接種を「微量に注射した」のに近い状態とも言えます。

 ただし、これではワクチンとしては「不十分な量」であるため、相変わらず感染リスクは残りますが、日々の活動の中で「マスク越しに微量に感染する」ことを繰り返していくと、体内の抗体量が十分な量に達し、新型コロナに対する「免疫力」を持てるようになるのです。

 つまり、「マスクをする」というのは、微量感染 によって「免疫を獲得するのにも役立つ」のです。

 欧米などでひどい状態になっているのは、(地域特性として)交差免疫を持たず、マスク着用も徹底されていないからであり、むしろ当然の結果として表れているのです。

3.抗体治療

 新型コロナに感染し、重症化し、回復した人の体内には、大量の「新型コロナ抗体」が存在します。

 よって、回復者から献血してもらい、血液内から「新型コロナ抗体」を抽出して、まだ「抗体を持たない感染者・重傷者」に注射して治療するのが「抗体治療」です。

 アメリカでは、この抗体治療の承認申請も最終段階に入っていて、トランプ前大統領が短期間に回復できたのも抗体治療のおかげです。

4.波長222nmの紫外線

 紫外線はこれまで、病院でのスリッパ殺菌など、殺菌作用のある光線として利用されてきました。

 ただし、通常の波長の紫外線は人体には有害とされ、シミや皮膚癌の原因ともされます。

 そこで、紫外線の波長をさまざまに変えて調べたところ、222nm(ナノメートル)の波長であれば、人体には無害の上、新型コロナウイルスには有効なことがわかったのです。

 実験によると、222nmの紫外線をたった10秒照射するだけで、約9割の新型コロナウイルスを無害化できることがわかりました。

 そこで日本で、世界初の「222nm紫外線照射器」が開発され、すでに石川県加賀市医療センターでは病院の待合室に30台など、多数の設置が進められています。

4.低濃度オゾンガス

 藤田医科大学の研究チームによって、低濃度のオゾンガスが新型コロナウイルスの無害化に有効なことが発見されました。

 そこで「低濃度オゾンガス 発生装置」が開発され、すでにタクシーなどへの設置が始まっています。

最後に

 新型コロナウイルスの登場から約1年が経過し、全世界で研究・調査が進み、新たな知見・技術・対策が見出されてきました。

 おそらく新型コロナウイルスもいずれ、インフルエンザ並みの病気という位置づけになっていくのではないかと思われます。

 恐れ過ぎず、侮ることなく、適切に対処していきたいものです。』

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新型コロナウイルスまとめ [Essey]

 新型コロナウイルスが全世界を震撼させる事態となり、すべての人が直接的に影響を受ける状況となっていますので、自分なりのまとめをしてみました。

 亡くなられた方々、闘病に苦しんでおられる方々には、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

1.新型コロナウイルスについて

 新型コロナウイルス はその名のとおり、コロナウイルスの1種で、これまで人に感染するコロナウイルスは、7種類見つかっています。

 コロナウイルスとは、エンベロープ(ウイルス表面の脂質性の膜)上にコロナ(王冠)のような「タンパク質の突起を持つ」ことが特徴とされ、これが名前の由来にもなっています。

 ウイルスにはエンベロープを持つものと持たないものがあり、コロナウイルスを含めた「エンベロープを持つ」ウイルスは、アルコールで失活するという特徴と、変異を起こしやすいという特徴があります。

 そのため、アルコール消毒が有効とされているわけです。

 またコロナウイルスは、動物界のウイルスがヒトに感染して、重大な被害を与えるという特徴もあります。

 コロナウイルスのうちの4種は、一般的な「風邪」の原因の10%から15%(流行期は35%)を占めており、ほとんどの場合は軽症に終わります。

 残りの2種類は、2002年に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)と2012年以降発生しているMERS(中東呼吸器症候群)です。

 そして7番目に発見されたのが、今回の「新型」コロナウイルスであり、学術的には2019年に発見されたことから「2019-nCoV」や、SARSとの類似性から「SARS-CoV-2」と呼ばれていました。

 そして2020年2月11日、世界保健機関(WHO)が正式に疾患名「COVID-19(コビッド・ナインティーン)」というする命名が発表されました。

 つまり今回のウイルスは「新型」ではあるものの、人類がこれまで遭遇したことがないようなまったく「未知」のウイルスということではありません。

 この点は非常に重要で、これまでの「既知のウイルス」の「新型」なのであれば、対処方法を考える糸口があるということです。

 これまでも人類は、ウイルスによる感染症を数多く克服してきました。

 研究を積み重ねていく中で「ウイルスのしくみ」を把握し、それに応じた治療薬を開発してきた歴史があります。

2.ウイルスの基本的なしくみとは

 ウイルスは、単独では増殖できないため、感染した細胞(宿主)の中に入り込み、自らの設計図とも言うべき核酸(DNAもしくはRNA)を複製して増殖していきます。

 ウイルスは「ゲノム」として、DNAかRNAどちらか一方の核酸を持ち、ウイルスの複製に必要な「遺伝情報」がゲノムにコードされています。

 つまり、デオキシリボ核酸(DNA)を持つ「DNAウイルス」と、リボ核酸(RNA)をゲノムとする「RNAウイルス」に大別され、新型コロナウイルスはRNAウイルスとなります。

(1) DNAウイルス(DNAしか持たないウイルス)
 増殖の際に一度、RNAに変換してからタンパク質を作ります。

(2) RNAウイルス(RNAしか持たないウイルス)
 RNAが遺伝子の役目を兼務しつつ、タンパク質を作って増殖します。

 DNAウイルスは、細胞のDNA合成に関わる酵素を利用してゲノムを複製するため、ボックスウイルスのような自分自身のDNA合成酵素を持つもの以外は「核」の中で増殖します。

 そのため、治療薬の対策としては、遺伝子の「転写開始前」の制御により行われます。

 RNA合成酵素は、ウイルスRNAを鋳型として細胞質で作られて機能します。

 したがって、RNAウイルスにおいては、原則として「細胞質」で増殖することになります。

3.RNAウイルス治療薬のしくみ

 RNAウイルスには、インフルエンザウイルス、エイズウイルス、エボラウイルスなどがあります。

DNAは「二重らせん構造」をしていて、二重らせんの梯子をくっつけているタンパク質が、A(アデニン)、T(チミン)、G(シトシン)、C(グアニン)の4つです。

 現在、もっとも治療薬として期待されている「アビガン(ファビピラビル)」は、かなりシンプルな構造をしていて、実は、G(シトシン)、C(グアニン)の構造に似せています。

 そのため、増殖しようとするウイルスが「アビガン」を遺伝子的に必要な成分と勘違いし、間違えて取り込んでしまうのです。

 当然「アビガン」は、G(シトシン)でもC(グアニン)でもないので、アビガンを体内に取り込んでしまったウイルスは「複製」ができずに、細胞分裂も行えないため、増えることができずに消滅してしまうのです。

 これが「アビガン」が治療薬として機能するしくみです。

 したがって、もともとは「新型インフルエンザ治療薬として開発されていた」ということでもあり、エイズウイルスやエボラウイルスなどにも効果があるとされるわけです。

 ほかに治療薬として期待されているものに、抗エイズウイルス薬の「カレトラ」、エボラ出血熱の治療薬「レムデシビル」などがあります。

4.アビガンについて

 アビガンを創薬したのは、富山化学工業株式会社です。

 富山化学工業(株)は、日本国内の数多くある医薬品メーカーの中でも抗生剤を作り出すのが得意な医薬品メーカーです。

 その歴史は古く、1936年に創業された老舗の医薬品メーカーであり、2002年には大正製薬とも業務提携を行っています。

 その後、2018年に 富士フイルムRIファーマ(株)と富山化学工業(株)が合併し、富士フイルムグループ傘下となりました。

 抗生剤は開発が難しいわりに、利益が取りづらいということで開発を止めた製薬会社も多いそうです。

 それでも根気よく、抗生剤・抗ウイルス剤を創薬してきた富山化学工業が、全世界・全人類を救うことになるのかもしれません。

 日本企業の研究・開発の底力を改めて感じさせる話と思います。

5.アビガンの副作用について

 「薬」ですので、もちろんアビガンにも副作用があります。

 それは、人体の細胞も「アビガン」を遺伝子的に必要な成分と勘違いして取り込んでしまうことにあります。

 人体の細胞がアビガンを取り込んでしまうと、特に精子や卵子に異常が発生する可能性があり、奇形児が生まれてくる可能性が高まります。

 したがってアビガンは、「妊婦」や「妊娠の可能性のある方」には処方できないとしています。

 同様に、男性側にも「妊娠をさせる可能性のある方」には処方できないことになります。

 とはいえ、処方するほどの「病状」にある男性が、そのような行為をできるとは考えにくいということになります。

 なお、化学製品などを手掛けるデンカ株式会社 は、政府からの要請を受けて「アビガン」の原料を新潟県糸魚川市の工場で生産すると発表しました。

 アビガンの原料は、デンカ(株)が国内唯一の生産メーカーでしたが、現在は生産を取りやめていたものの、来月から設備を再稼働するとのことです。

 デンカ(株)は「新型コロナウイルスへの対策を社会的責務と捉え、確実な供給を図る」としています。

 日本企業の底力が、全世界・全人類を救ってくれることを祈るばかりです。

<参考としたWebサイト>
東京大学医科学研究所、東京大学医学部附属病院臨床研究推進センター、秋田大学大学院医学系研究科・医学部サイト、富山化学工業(株)、デンカ(株)、各種報道機関サイト

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「宿命と運命」について考える [Essey]

 今回は「宿命と運命」について「考えてみる」です。

◆宿命と運命という言葉の定義について

 「宿命」は、漢字の成り立ちのように、「命に宿るもの」であり、この世に生を受けたときに与えられた個人の資質のことですね。

 自分が生まれてきた時代、国や地域といった場所、親兄弟、親族、性別、体質、容姿などに対して用いられる言葉です。

 人が「いつ、どこで、どのように生まれるか」は、自分で選ぶことのできない、あとから変えることもできない「初期値」です。

 「運命」は、これも漢字の成り立ちのとおり、「命を運ぶ」というダイナミックな動きを伴った「人生行程」のことです。

 運命は、本人の生き方、選択のしかた、職業、人間関係などの環境で変化していきます。

 運命は、持って生まれた定めである「宿命」と、自分を取り巻く環境とそれに対する本人の選択のしかたなどの「組合せ」が影響していきます。

 例えば、「主人公の運命やいかに」のように、今後の成り行きや可変な将来に対して使われる言葉ですね。

 そのように「運命」は、最初から決まった固定的なものではないのに、ありがちなのは「だって運命だから逆らえない」といった「誤用」をよく見かけます。

 人の誕生のカルマとして変えることができない定めを「宿命」と呼び、個人の選択や努力、日々の行いで変えられる人生の大きな流れを「運命」と呼ぶのになと思うわけです。

 おそらく、「運」という言葉には、善悪吉凶の現象、幸福や不幸、喜びや悲しみをもたらすものとして、人知を超えた超越的な力という意味もあり、これが「誤用」を招いているようにも思われます。

 でも「運」というものは、人々に日々「偶然」に生じることが、その人にとって「良いことか、悪いことか」を判断し、「運が良かったか、運が悪かったか」ということを決めているだけです。

 例えば、複数のサイコロを振った時に、出る目の確率はどれも一定ですが、たまたまゾロ目が出た時に、「運が良い」と解釈するのは人間の勝手な「意味づけ」です。

 自然界にとっては、出た目が「ゾロ目」であろうとなかろうと、何の意味もありません。単なる数字に過ぎません。

 ところが人は、不揃いの数字が出た場合と、ゾロ目が出た場合とで、「意味づけ」を変えてしまいます。

 そこに「何らかの意味」を設定し、幸運、不運、巡合せといった解釈を(勝手に)しています。

◆運命論

 この誤解・誤用を最大化したのが「運命論」です。

 人々に訪れる一切の出来事は、運命によってあらかじめ決定されており、人間の意志や選択は無力であるとする、バカげた考え方です。

 古代西アジアの占星術や、中国の亀甲占いなども、神や天の意志を知ろうとする運命論が基底にあると考えられます。

 だから自分は、それらを理解・認識してからは、占いなんて大嫌いですし、一切信じませんし、ありがちな「おみくじ」なんかも引きません。

◆命運

 「命をどう運ぶか」は、本人次第であり、転じて、今後の成り行き、寿命を意味する言葉でもあります。

 つまり、寿命を短くするのも、延ばすのも、本人次第であり、暴飲暴食・不摂生な生活をしていれば、自分で自分の寿命を短くしているのであり、誰のせいでもありません。

 よく「命運が尽きた」とか言いますが、いやいや「そうしたのは自分だろ」と思います(笑)

◆運命的な出会い

 先ほど「運が良い=確率、タイミング」による「意味づけ」と書いたとおり、「運命的な出会い」であったかどうかは、その人の解釈、意味づけによります。

 日常生活での「出会い」は、単なる確率であり、サイコロを振った時の確率と同じです。

 たまたま、その日のそのタイミングに、出会ったというだけです。

 その「ある人」と出会った時、その「出会い」が「良かったか、悪かったか」を決めるのは自分であり、あらかじめ決まっていたことではありません。

 ある「出会い」に対して、それが「不揃いの目」であったのか、「ゾロ目」としての「意味づけ」をするかは、人々の(勝手な)解釈です。

 自分もこのところ、「運命的な出会い」が続いていて、新たなプロジェクト・新事業の立上げを楽しませてもらっています。

 でもそこには「お互いに理解し合い、お互いを大切に思い、お互いを尊敬し合える」という「共通理解・認識」が必要です。

 どちらかが一方的にそう思っても、他方がそうでなければ、結局は「運命的な出会い」とはなりません。

 「運命的な出会い」とは、片方だけでは成立しないわけで、最初から定められたわけでも、決められていたわけでもなく、流動的で、当人次第な出来事です。

◆マキアヴェッリの考察

 マキアヴェッリ は、「運命と人間」に対して、次のように考察しています。
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「今までも幾度となく述べてきたように、人の運の善し悪しは、時代に合わせて行動できるか、出来ないかにかかっている。

 ある者は激情で行動して成功を収める者もいれば、慎重に行動して成功する者もいる。

 今、栄えている人物が急に没落したり、行動は変えていないのに、運によって栄えたりするのは何故であろう?

 その理由は、彼らの器量や能力よりも、彼らの行動が時勢に合ったかどうかによって、成功は決定されるものであるからだ。

 仮に彼らの成功が永続していたのであれば、それは時代の要求によって、彼らが自分自身を自在に変化させてきた証である。

 運命とは、変化するものである。

 それゆえ人間は、過去や現在に成功している自分流のやり方を続けていても時流に乗っている間は上手くいくが、時代に合わなくなれば失敗するより他はない。

 ゆえに、現在隆盛を極めているといって得意になることも無いし、不遇だといって悲観する必要も無い。」
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 自分に起きる運命は、あらかじめ決まっているわけではなく、どうすれば「自分の運命」を(良いように)変えられるかということを、これほどわかりやすく、力強く看破した論があるでしょうか。まったく見事です。

◆未来の不確定性

 現代物理学の「不確定性原理」によって、位置と運動量は同時に決まらないことが証明され、未来の運命は原理的に知ることはできないことはすでにわかっています。

 運命も、日々の人間の意志によって「幸、不幸」は決定され、日頃の行いや選択の積み重ねにより、結果として変わるものです。

 「宿命のライバル」はあったとしても、「運命のライバル」なんてないわけです。

*「宿命」であれば、そもそも生まれた時代が違えば、ライバルになりようがないわけですが、「運命」は変容していくためですね。

 同じく「運命の人」の「運命の出会い」も、一定の確率の中の「偶然」に対して「これはゾロ目だ」と意味づけるのは、自分自身の判断・解釈であり、主導的なものです。

 よって「これも運命だからしかたがない」と言うのは、明らかに「誤用」です。

 自分の選択が間違っていたからといって、それを「別物のせいにするな」と思います。

 ある偶発的な出遇いがその系列によって内面化され,その系列の新たな展開の出発点となり,いわば必然に転じられるようなとき,特にそれが偶然として意識されるということです。

 自分が生まれたあと、どのような学校へいき、どのような仕事をし、人との出会いの中から、どんな出会いを大切にするかは自分次第です。

 自分からアクションを起こすことで決定され、命をどう運んでいくかを自分で決めているわけです。

 自分の人生は、自分の選択の連続であり、誰のせいでもないし、ましてや「宗教的な神」など、まったく関係ありません。

 すべては自分次第なのに、それが怖いから、それらの決断・責任から逃げているだけです。

 自分で、自分の人生を、どのようにしていくのかは自分自身であり、自分の「運命を切り開く」のは、自分にしかできないことです。

◆理解力と思慮の深さについて

 当ブログの文章を読んで理解できる方も、相当な「知力」の方と思います。

 おそらく多くの方は、このような文章を読んでも良く理解できず、途中で止めてしまうのではないかとも思います。

 この記事についても、最後まで読むことができる方は、相当な「読解力・理解力」のある方であることは間違いありません。

 もちろん、賛同できる部分もあれば、意見が異なる部分もあるかと思います。当然です。

 でもこうして、自分が書いた文章を「理解」してくださる方がおられることは、たいへん幸せなことです。

 これまで人類は、歴史に刻まれてきた「知の歴史=思想史」を、天才たちが引き継ぎながら、次々に「更新」してきました。

 キラ星のごとく、デカルト、スピノザ、パスカル、モンテスキュー、ルソー、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ニュートン、アインシュタインと、「史上最高の知能」たちが連綿と築き上げ、「最高到達点」を更新してきました。

 そういう意味では、自分程度の知能では、「数学上の未解決問題」とされる「P≠NP予想」「ホッジ予想 」「ヤン-ミルズ方程式と質量ギャップ問題」など、あまりに難解過ぎて、何度読み返してみても、理解することすらできません。

 この「自分の現状」を「事実」として「受け入れられる」かどうかも、「知力の1つの分岐点」なのかなとも思います。

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