貨幣経済と金融支配体制を考える<3> [Essey]
前回の「貨幣経済と金融支配体制を考える<2>」の続きです。
4.日本における金融支配体制の確立
(1)日本への侵略
日本の明治維新においても、坂本龍馬の背後には、イギリスの武器商人トーマス・グラバーの存在がありました。
グラバーは、ロスチャイルド財閥の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。
来日当初こそ、生糸や茶の卸売をしていたものの、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。
当時、幕府に敵対していた長州藩は、幕府から「長崎のグラバーから武器を買うこと」を禁じられていました。
そこで龍馬は、グラバーから分けてもらった武器を「薩摩藩名義」で長州に流すことで、両者を和解させることに成功します。
この動きも、グラバーの「龍馬を使って薩長を結びつけ、両藩を支援して幕府を転覆させる」という計画に基づくものでした。
実は、それ以前にグラバーは、薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、当時敵対していたとされる両者を、ともに「イギリス留学」を斡旋し、現地で交流させていました。
つまり、龍馬が両者をつなぐ前に、グラバーの仲介によって、イギリスですでに薩摩と長州は結びついていたわけです。
(2)明治維新となる反政府勢力の育成
グラバーの手引きによって、イギリスに密航留学した「長州藩の5人」の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。
今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのは、グラバーが勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンでした。
マセソン商会は、ネイサン・ロスチャイルドの息子である、ライオネル・ロスチャイルドが設立させた会社です。
ロスチャイルド系列のマセソンに、かわいがってもらった5人の若者たちは、日本に戻って、ロスチャイルド系財閥から支援された膨大な武器・弾薬で明治新政府を樹立し、日本の最高指導者たちとなります。
こうして、ロスチャイルド財閥の計画通りに、明治の日本政府が作られました。
(3)その後のロスチャイルド戦略
「戊辰戦争」は、英のロスチャイルド財閥と仏のロスチャイルド財閥が、それぞれの側について、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方に、莫大な資金と武器を貸し出します。
そうして両者を戦わせ、どちらが勝っても、日本の支配権と莫大な利益を手に入れる計画です。
こうして国際金融権力が、支援した子飼いの者たちに明治政府を作らせた後、今度は、外国と戦わせたのが「日露戦争」です。
当時、大国ロシアはまだ、自分たちの支配下になかったので、ここまで育て上げてきた日本と戦わせることで、弱体化させることを狙った戦争です。
日本は、この「ロスチャイルド家のための代理戦争」の戦費を、ロスチャイルド財閥から調達するために、日本国民に増税に次ぐ増税を課しました。
それでも足りずに、国債まで強制的に国民に買わせます。国家予算で軍事費の占める割合が51%を超えるという異常さです。
それでもなお、戦費の調達に困っていた当時の日本銀行副総裁、高橋是清は日本の国債を外国に買ってもらうために、イギリス・アメリカへと渡ります。
アメリカでは、ロスチャイルド家と血縁関係にある大財閥ジェイコブ・シフから500万ポンドの日本国債を買ってもらいます。
もちろん戦後、利子をつけて返さなければなりません。
イギリスにおいては、ロスチャイルド支配下の銀行団からも500万ポンドを借り、その後、さらにロスチャイルド本家からも追加融資を受けています。
続きは、Part4へ。
4.日本における金融支配体制の確立
(1)日本への侵略
日本の明治維新においても、坂本龍馬の背後には、イギリスの武器商人トーマス・グラバーの存在がありました。
グラバーは、ロスチャイルド財閥の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。
来日当初こそ、生糸や茶の卸売をしていたものの、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。
当時、幕府に敵対していた長州藩は、幕府から「長崎のグラバーから武器を買うこと」を禁じられていました。
そこで龍馬は、グラバーから分けてもらった武器を「薩摩藩名義」で長州に流すことで、両者を和解させることに成功します。
この動きも、グラバーの「龍馬を使って薩長を結びつけ、両藩を支援して幕府を転覆させる」という計画に基づくものでした。
実は、それ以前にグラバーは、薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、当時敵対していたとされる両者を、ともに「イギリス留学」を斡旋し、現地で交流させていました。
つまり、龍馬が両者をつなぐ前に、グラバーの仲介によって、イギリスですでに薩摩と長州は結びついていたわけです。
(2)明治維新となる反政府勢力の育成
グラバーの手引きによって、イギリスに密航留学した「長州藩の5人」の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。
今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのは、グラバーが勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンでした。
マセソン商会は、ネイサン・ロスチャイルドの息子である、ライオネル・ロスチャイルドが設立させた会社です。
ロスチャイルド系列のマセソンに、かわいがってもらった5人の若者たちは、日本に戻って、ロスチャイルド系財閥から支援された膨大な武器・弾薬で明治新政府を樹立し、日本の最高指導者たちとなります。
こうして、ロスチャイルド財閥の計画通りに、明治の日本政府が作られました。
(3)その後のロスチャイルド戦略
「戊辰戦争」は、英のロスチャイルド財閥と仏のロスチャイルド財閥が、それぞれの側について、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方に、莫大な資金と武器を貸し出します。
そうして両者を戦わせ、どちらが勝っても、日本の支配権と莫大な利益を手に入れる計画です。
こうして国際金融権力が、支援した子飼いの者たちに明治政府を作らせた後、今度は、外国と戦わせたのが「日露戦争」です。
当時、大国ロシアはまだ、自分たちの支配下になかったので、ここまで育て上げてきた日本と戦わせることで、弱体化させることを狙った戦争です。
日本は、この「ロスチャイルド家のための代理戦争」の戦費を、ロスチャイルド財閥から調達するために、日本国民に増税に次ぐ増税を課しました。
それでも足りずに、国債まで強制的に国民に買わせます。国家予算で軍事費の占める割合が51%を超えるという異常さです。
それでもなお、戦費の調達に困っていた当時の日本銀行副総裁、高橋是清は日本の国債を外国に買ってもらうために、イギリス・アメリカへと渡ります。
アメリカでは、ロスチャイルド家と血縁関係にある大財閥ジェイコブ・シフから500万ポンドの日本国債を買ってもらいます。
もちろん戦後、利子をつけて返さなければなりません。
イギリスにおいては、ロスチャイルド支配下の銀行団からも500万ポンドを借り、その後、さらにロスチャイルド本家からも追加融資を受けています。
続きは、Part4へ。