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Matrix(マトリックス)の形而上学 完全解説 [Movie]

 おそらく「マトリックスが好きだ」という人は、ストーリーやアクション以上に、その背景に描かれる世界観、概念、が好きなように思えます。

 逆に、「マトリックスはたいして好きじゃない、おもしろくない」という人は、映像の派手さ、アクションシーンに目がいってしまってるのかなという気がします。

 シンプルな「勧善懲悪」的ストーリーという捉え方、認識なのかもしれませんし、「1作目はおもしろかったけど、2作目、3作目はイマイチ」という発言にも、それが現れるのかなという気がします。

 「マトリックス」は最初から3部作なので、2作目、3作目を観ることで、改めて1作目のおもしろさも倍加する作品と思います。

 2作目、3作目で明らかにされる「思想と哲学」によって、あらためて1作目が「ああ、そうだったのか」と、より理解が深まるのを感じます。

*監督・脚本のウォシャウスキーブラザーズは、映画会社ワーナーのプロデューサーに、いきなり「3部作の映画を作らせろ」と言ったそうです。長編映画未経験なのに(笑)

 ということで、映画「マトリックス」の背景に流れる「思想と哲学」(自分の解釈では形而上学)について、自分なりの完全解説を試みます。

*形而上学:アリストテレスの著作に始まり、ギリシャの3大哲学者、ソクラテス→プラトン(ソクラテスの弟子)→アリストテレス(プラトンの弟子)によって、確立された学問。  アリストテレスの形而上学は「概念の学」であり、宇宙の真理や人間の真理を探求するもの。

*すでに映画を観終わった方向けの解説なので、まだ観ていない方はご注意ください。

*ここからは「もう観た方を対象に」ということで、ストーリー、監督、俳優などについては省略しますね。

*それからこれは、あくまで個人的見解なので、自分と違うからって反論しないでくださいね(笑) (人それぞれ受け取り方がありますし、ああ、この人はこういう受け取り方をしたのね、ぐらいな感じでお願いします。)

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 まずは題名の「Matrix」ですが、そもそもの「マトリックス(またはマトリクス)」の意味は次のとおりです。(Weblio英和辞典より)

マトリクス 【 matrix 】【名詞】
1.(ものを生み出す)母体、基盤、発生源
2.鋳型、(活字鋳造の)字母・母型、(複製のもとになる)原盤
3.【鉱山】母岩(宝石・鉱物などを含んでいる)石基
4.【数学】行列、マトリックス
5.【電子計算機】マトリックス
【語源】
 ラテン語「子宮、母体」の意

 実に、この映画の象徴的なものをすべて包含した、素晴らしいタイトルですね。

 では、この映画の根底に流れる「映画の枠を超えた思想と哲学」について、深速思考してみたいと思います。

◆監督・脚本:ウォシャウスキーブラザーズのインタビュー

 DVD-BOX Disc8「マトリックスと哲学」に、ウォシャウスキーブラザーズのインタビューがあり、「ジャン・ボードリヤール著『シミュラークルとシミュレーション』(1981年出版)」から、ストーリーのヒントを得た」と話していますね。

 ジャン・ボードリヤールと言えば、『消費社会の神話と構造』で有名な、ポストモダンとして代表的なフランスの哲学者、思想家です。

 「MATRIX」という単語も『シミュラークルとシミュレーション』に登場してきます。

 それから、デカルトからカントに受け継がれた知覚主義、意識と懐疑、“選択する”ということの意味への考察、原因と結果の因果関係論などの思想も取り込まれています。

 これらの背景にあるのは、人が「自由意志」だと思って行動していたことが、実は「必然的な選択ではなかったのか」という「自由意志への懐疑」ですね。

 ザイオンに生活する人々が「マトリックスからの覚醒者である」というところでは、デカルトの「知覚主義」=「“存在する”ということは、“知覚”されることである」という、「方法的懐疑論」を感じさせますね。

 ソクラテスの思想「無知の知」にある、 「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。」 というやつですね。

 自分がマトリックスの中で、“飼い殺し”されていることを知らなかったという「無知」さ、「そうであったことを知った時、そうであることを知らない者より、賢い立場になる」ということを意味しているとも言えます。

 “仮想の自分”ではなく、“生身の本当の自分”を知ることから始まるというあたりは、デカルトの「我思う故に我あり」ですね。

 ネオが初めて登場するシーンで、PCの前でうたた寝していて、サイバージャンキーが違法プログラムを買いに来るシーンでは、違法なプログラムソフトの隠し箱とした本は、ボードリヤールの「模型に付随する世界」であり、中をくり抜いて隠していました。

 この「模型に付随する世界」では、「モデリング論」が展開されていて、「マニュアル主義」=「与えられた選択」=「創造性がない世界のありよう」を哲学的に論じたもので、これも象徴的なアイテムとなっていますね。

 「主体性なく、モデリングどおりに行動する奴隷は、それに気づきさえしなければ、幸せだと錯覚する」という、まさにこの時点における「ネオ」そのものを表しています。

 ネオたちを裏切るサイファーが、裏切る対価としてエージェントに要求する「こんなボロを着て、まずい飯を食べる生活はもうイヤだ。今の記憶を全部消して、マトリックスに戻りたい。」というシーンにおいては、 「何も考えなくていい、言われるがままに生きればいい、奴隷はラクだ」 という表現に転じられていますね。

 これは、ショーペンハウアの「盲目的意思」を示唆したものであり、「自由意志で選択したものと勘違いする」にも通じています。

 1作目のラストで、ネオが完全にマトリックスをコントロールし、ラストシーンで、空を飛んでいくところは、ニーチェの超人哲学「群れの修正を脱すれば、人は超人となれる」を、表現したシーンのようにも思われます。

 ニーチェが唱えた「超人とは、神が人に、人が神(=救世主)になったものである」の象徴的なシーンですね。

◆古代インド思想「ウパニシャッド」哲学の要素

 「マトリックス」には、西洋だけでなく、東洋の思想も取り入れられていますが、インドの宗教文書「ヴェーダ」最後を飾る哲学的な100を超える文献群「ウパニシャッド」です。

 「ウパニシャッド(著者不明)」は「奥義書」とも呼ばれ、宇宙の根源、人間の本質に迫る哲学思想ですね。

 「ウパニシャッド」の中心的思想は、宇宙の根源であるブラフマン(梵)と人間の本質であるアートマン(我)とを考え、この両者が究極的に同一であることを認識すること(梵我一如)が真理の把握であると。

 「真理を知り、そのものになり、その力を獲得する。」
 「宇宙を支配する原理を知ることによって、その宇宙原理に自己が同化し、自在な境地に到達できる」と。

 そして、その「真理を知覚することによって輪廻の業、すなわち一切の苦悩を逃れ、解脱に達する」というもので、世界最古の深い哲学的思索とされています。

 「すべての生きとし生けるものは生と死を永遠に繰り返す。死んだら、またどこかで何かに生まれ変わってくるという「輪廻転生」の思想」ですね。

 「良い業」か「悪い業」が、どんな「業」を積んだかによって、次の生が決定され、生まれ変わると。

 ネオのような「The One(救世主)」=「アノマリー」の出現は、マトリックスが完成以降、6回目だと。

 インド人は「生きることは苦しいこと」と考えるので、2度と生まれ変わらずに済む「輪廻の輪」から抜け出せるのが「解脱」だと。

 まさに、ネオは(3部作を通して)少しずつ真理を知っていき、「The One」に成長していき、その力を獲得し、最終的に「同化」することで、境地に至り、解脱できると。

 そう考えると、3作目の「ネオとスミスの最終決戦」が、延々と続く、明らかに長過ぎる死闘のシーンは、まさしく「業を積む」(苦行)に見えてきます(笑)

 これだけの「業(苦行)を積まないと、真理にたどり着けないのか」という、真理を知ることの難しさ、尊さですね。(あの極端な「長尺」にも意味があるのねと(笑))

*それは観る側にも、ある意味「忍耐(業)」を強いられるようですよね(笑)

 その長い長い「業(苦行)」に末に、ついにネオは「戦いでは何も解決しない」ことを悟り、まったく抵抗しなくなります。

 スミスになすがままに攻撃され、最後にはスミスそのものに上書きコピー(同化)されてしまいます。

 しかし、それこそが「悪い業と良い業、あらゆる業の融合」であり、宇宙との同化、「解脱への道」であると。ついに「悟り」を開くと。

 敵同士に思えた人とマシンが、実は互いに、互いを必要としているように、ネオにとってのスミスも、いやおうなく、「融合する」ことが唯一の解決策であったと。

 スミスも、ネオを上書きコピーしたあと、たいして勝利の余韻に浸る間もなく、「しまった。そういうことだったか」という表情を見せ、一斉に光り出し、ネオもスミスのコピーもすべてが光となって砕け散り、起源(ソース)に戻ります。

 スミスと融合することで、ネオは「マトリックス」の全システムをリセットし、再起動し、「マトリックス」の世界を救ったと。

 そして、マシンとの交渉におけるトレードオフ条件として、同時に「マシンと人の戦争」を終わらせ、ザイオンの人々を救ったと。

 これが実は6回目の再起動であり、ラストシーンで、日の出を作り出し、「預言者」と一緒に見る少女が、7番目の「The One(救世主)」なのだと。

 この驚くべき深さ、何という哲学、これぞまさしく「マトリックスの形而上学」とも言うべき完成度ですね。

 これだけ哲学・思想的であるのに、「ハリウッド超大作の娯楽映画」として、ビジネス的にも大成功する昇華のしかた、あまりにも見事です。

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